今、注目の共産主義について考える(75)。中国の独裁政権に世界は失望。

産経新聞3月12日付けの「オピニオン」より以下引用しました。

3月3日付仏紙ルモンド社説「習氏はもはや自由貿易の擁護者ではない。素顔は、あくなき個人権力を追求する指導者だ。・・・西欧民主主義国に対し、習氏やロシアのプーチン大統領の際限なき強権主義は、経済開放が民主化をもたらすという東西冷戦後の幻想を葬り去ってしまった。深刻な問題はさらにある。これらの政権が世界にもたらす真の危険は、彼らが力ずくで示すナショナリズムにある」。

3月5日付仏紙フィガロは論説記事で「西欧では、中国が資本主義への転換で市場経済へと進めば、必然的に法治国家となり、民主主義を受け入れると考えられていた。習氏はそんな幻想を葬り去った。資本主義や技術革新で、中国は民主主義を確立するどころか、民主化を装った独裁主義を強めることが示された。・・・中国は世界貿易や金融決済に加わっても制度に賛同せず、西欧の価値に正面から異議を唱える。国力の著しい増強で世界の安定に寄与するどころか、米国に対抗して主導権をつかもうとする」。

ニューヨク・タイムズ紙は2月28日付け社説で「米国や同盟国は経済発展が成し遂げられれば政治的な自由化につながると期待して、第二次世界大戦後に西側が作った政治、経済システムに中国を統合しようとしてきたが、習氏の任期撤廃の動きによって、『そのような政策が失敗だったと証明された』と失望感を示した」。

ワシントン・ポスト紙は2月27日付け社説で「習氏が国内では警察や軍を掌握し、人工知能を使った国民の監視による『独裁』を進めつつ、世界では現代版シルクロード経済圏構想『一帯一路』の名の下に影響力を強め、自らの政治モデルを売り込もうとしている」。

英字紙タイムズ・オブ・インデイア(2月27日付)は「『習近平皇帝』との分析記事で、任期規定撤廃によって中国は一握りの共産党幹部が権力を継承した体制から、『独裁政権に移行する』と断じた。習氏が『反腐敗』の名の下で政敵を駆逐して権力集中を成し遂げた背景には『自らが失脚させられることへの恐れがある』と指摘。その上で『経済失速で不満が漏れるようになると、独裁的な態勢は揺らぎを見せる。習氏は権力を強固にすることで難局を乗り切れると感じているのだろう』と見る」。

英字紙インデイアン・エクスプレス(2月27日付)は「毛沢東が発動した政治運動『文化大革命』の反省から、中国には長期政権を避ける道筋ができていたのに、習氏の行動はそうした歴史に反するもので『権力の集中化は中国のもっとも暗かった時代を思い出させる』との専門家の見方を紹介した。インド洋諸国への投資で『拡大主義』は顕著だと指摘し、『習氏が毛沢東スタイルの独裁者になれば、各地でより摩擦が増えることになるだろう』と断言している」。

このような世界の反応を見ますと、習近平政権は世界の信頼を完全に失ったことがわかります。

独裁者・習近平氏は独裁政権を維持するために、言論弾圧、人権蹂躙、国民に対する暴力や蛮行を繰り返してきました。しかし独裁者は、かかる人道を外れた行為による復習を恐れ、その恐怖心はさらにつのっていきます。いつ誰に裏切られるかもしれないとの恐怖心は、さらなる独裁と弾圧へと向かわせていきます。独裁の歯止めがきかなくなります。誰も信じられない、誰かが裏切るかもしれないとの恐怖心は、独裁者をさらなる残虐な行為へと駆り立てていきます。しかしこのまま行けば、最後はチャウシェスクのように民衆の敵としてきっと断罪されることになるでしょう。未来は見えています。

中国国民と世界があなた(習近平氏)に求めているのは、独裁の強化や中国国民への弾圧ではありません。あなたがやらなければならないことは、共産主義から中国国民を解放し、中国国民が自由と民主主義と幸福を享受できるように、共産党一党独裁を解体することです。なぜなら共産主義の罪悪をあなたが一番よく知っているからです。

 

今、注目の共産主義について考える(74)。北鮮帰還事業(4)。「苦情処理委員会」の設置断念は最悪の判断。

2ヶ月に及ぶ日鮮交渉の障害となった2つ目の問題は「苦情処理委員会」の設置についてだった。苦情処理ということは朝日新聞によれば「帰りたいか、帰りたくないかという、はじめに表明された意思が、あとで文句が出て変更されることだ」ということのようです。

日本側は当初「『脅迫』とか『錯誤』とかによって本人の意思が正しく表明されなかった場合『苦情』を取り上げることによってのみ正しい本人の意思が貫かれる」として、苦情処理委員会の設置を主張していました。これに対して北朝鮮は「本人が本人の申請に苦情をいうハズはない」として、日本側の提案を断固として拒否し続けてきました。朝日新聞は「一般論で言えばまったくその通りだ」と北朝鮮を擁護し、「論争のタネになった」と日本政府を批判しています。

もし苦情処理委員会が設置されていたら、北朝鮮に渡ったものの、期待を裏切るものであれば、苦情処理委員会に申し出て改善を図ったり、最終的には日本に帰国する道も開けたはずであります。しかしその苦情処理委員会の設置をしなかった。

昭和34年6月9日の朝日新聞によれば「北鮮の希望認める、苦情処理、葛西代表に訓令」との見出しで「ジュネーブでの北鮮帰還問題の交渉で最後の問題点となった『苦情処理』について、外務、厚生両省、日赤などの関係者は8日午後外務省で検討した結果、北鮮側ものみうるような日本側の最終態度を決め、同日ジュネーブの葛西日赤代表に訓令した」ということです。

北朝鮮は帰還した人が全員、苦情処理委員会に駆け込むことが分かっていたので、苦情処理委員会の設置を頑なに拒否し、妥結を急ぐ日本は結局北朝鮮の主張を全面的に受け入れることとなってしまったようです。

民団幹部が言うように帰還とは名ばかりで、実質は『強制送還』となってしまった。この結果、一度帰還すると苦情を申し立てるところもなく、二度と日本に帰ってこれない帰還となってしまったのである。これを強制送還と言わずしてなんと言うのだろうか。

朝日新聞が喜んだこの日鮮合意によって、帰還事業は人道とは縁もゆかりもない、人権侵害事件へと変質することになってしまったのである。