国内での拉致監禁拷問事件について考える(6)。「人権」は政治・思想・宗教の違いを超えて人間に付与された「普遍的価値」であります。

高澤牧師裁判(「鳥取教会襲撃事件」)の尋問調書から拉致監禁の動機と手口について調べてみました。

A : 1996年(平成8年)1月23日付の第1回尋問調書

B :   1996年(平成8年)3月26日付の第2回尋問調書

C  :  1996年(平成8年)5月21日付の第3回尋問調書

D  : 1996年(平成8年)7月9日付の第4回尋問調書

子の親は、子供を「犯罪者だ」と思い込んでいます。この「犯罪者」という判断はどこから来たのかが問題なのですが、

高澤牧師は、家庭連合を

「キリスト教に名を借りた悪辣非道な犯罪集団以外の何者ものでもない」(Aー68頁1行〜4行)

「あれだけの悪辣な犯罪集団を、信仰という表現で片ずけられるかどうか」(Cー36頁2行)

と表現しています。この「犯罪集団」という発言に対し、反対尋問で家庭連合側弁護士から「具体的に有罪となった刑事事件を何か知っているのか」と質問されると、的を射ない返答をした挙句、

「そのへんのところは私も専門家ではないのでよくわからないんですが」と答え、「物理的な世界ではなく心の世界で罪を犯していることが大きい」と述べています。(Cー36頁5行〜37頁7行)

その返答に対し、「そのようなことで犯罪集団と言うのは牧師として言い過ぎではないか」と問われると、「決して言い過ぎだとは思っていない」と開き直っているのです。(Cー37頁8行〜10行)

このように、高澤牧師の「犯罪集団」発言は、客観的な事実に基づくものではなく、家庭連合に対する敵対感情の表明に他なりません。こうした高澤牧師の敵対感情に基づく「教育」を受けた家庭連合信者の親が、事実を確認しないまま、家庭連合を「犯罪者集団」と思い込んでしまうことは十分に考えられます。

家庭連合信者の親が、その子供に対し、高澤牧師の改宗活動を受けさせるには、順番待ちをしなければなりません。現在(1996年)、何件の順番待ちがあるかについて、高澤牧師は証言を拒否しましたが(C63頁77行〜13行)

順番待ちの父兄が常に多数いることを認めています(Cー65頁10〜11行)。順番待ちの父兄を教育する場として、礼拝後の集会があります。集会には、子供の脱会に成功した父兄が集まり、順番待ちの父兄と話し合います。(Cー65頁12行66頁4行)この集会に高澤牧師が出席することもあります。(Cー65頁12行〜66頁6行)

順番待ちの父兄に対し、拉致監禁の順番を誰が決めるのかについて、尾島淳義(あつよし)氏(西日本福音ルーテル教会の青谷教会信者で高澤牧師の協力者)や「いろんな家族の方々」と相談し、個々の状況によって決めると証言しています。(Cー64頁1行〜5行)

「いろんな家族の方々」というのが、順番待ちの家族だけでなく、既に信者の脱会に成功した家族を含むのかどうかは、この証言だけでは明らかではありません。しかし、脱会に成功した父兄によると、順番待ちの父兄に対する教育システムが存在していることから、こうした父兄が関わっていることも十分考えられます。

順番待ちを決める場合、考慮される「個々の状況」について、合同結婚式に参加する直前という理由は優先状況として考慮されず、むしろ合同結婚式を受けた信者が入籍をし、家庭を出発しようとしている場合が優先されるといいます。それは、家庭を持てば「洗脳されたまま」子を産むことになることなど、状況を総合的に判断した結果であるといいます。(Cー66頁7行〜13行)

さらに、親のほうから、合同結婚式に参加する前に改宗してほしいと訴えてきても、その親の願いを鵜呑みにして早めに行動することはしないと証言しています。(Cー67頁1行〜7行) 結局、信者に対する拉致監禁をいつ開始するかは、親よりも高澤牧師が決定権を持っていることがわかります。

結婚式を挙げた者同士が、入籍して家庭を持ち、子を出産するのは、その夫婦の自由であるはずです。ところが高澤牧師は、こうした人間としての当然の権利を妨げようとし、信者は「洗脳されている」と決めつけ、夫婦の一方拉致監禁して夫婦関係を引き裂くのですから、これほど残酷非道な行為はありません。

順番待ちの期間は、人によって差があると答えていますが(Cー65頁8行〜9行)、何年間も通っている親であっても、本人との接触が持てないために拉致監禁を開始できない場合もあると述べていることから(Cー73頁5行〜74頁5行)、順番待ちには数年を要することもあるようです。

拉致監禁の順番が回ってきた場合、高澤牧師は信者の父兄と、ら拉致する日程、拘束の場所、拘束方法を綿密に打ち合わせます。(Cー73頁5行〜74頁5行)

国内での拉致監禁拷問事件について考える(5)。「人権」は政治・思想・宗教の違いを超えて人間に付与された「普遍的価値」であります。

高澤牧師裁判(「鳥取教会襲撃事件」)の尋問調書から拉致監禁の動機と手口について調べてみました。

A: 1996 年(平成8年)1月23日付の第1回尋問調書  

B:  1996年(平成8年)3月26付の第2回尋問調書 

C: 1996年(平成8年)5月21日付の第3回尋問調書 

D:  1996年(平成8年)7月9日付の第4回尋問調書

①、相談に来た、家庭連合信者の親に対する指導

家庭連合信者の親が、高澤牧師に相談しに来た場合、どのような指導を行うのかについて、高澤牧師は次のように証言しています。

まず、家庭連合が「社会悪」であることを話し、信者が「マインドコントロール」されていることを、親との間で確認しあっていくといいます(Bー49頁7行〜51頁8行)。

その際、家庭連合問題は「家庭問題」「親子問題」という側面が強いため、子供が家庭連合に通うようになった心理状況を把握してもらうための「ガイダンス」や「教育」を心がけているといいます(Aー59頁6行〜60頁8行)。

そして、親に対し、信者を一定の場所に拘束しなければ脱会させる方法はないと話すのです(Dー28頁12行、29頁、30頁13行)。

もし、我が子が通っている教会が「社会悪」であり、その協会によって「マインドコントロール」されているとするなら、我が子を心配しない親はいないでしょう。しかも、その問題が子供の問題ではなく、「家庭問題」「親子問題」だと牧師から言われれば、親としては責任を感じざるを得なくなります。まさに、子を思う親心を巧みに操って、子を拉致監禁させるよう、親をそそのかしているのです。

さらに高澤牧師は、改宗説得が失敗する原因の一つとして、監禁中に信者の親が信者を解放するケースを挙げています。その親が、親子の情愛から我が子を解放してしまうのは、高澤牧師の「オリエンテーションの責任」であると証言しています(Aー19頁137行〜20頁5行、Cー30頁2行〜3行)。

そして、「オリエンテーションの責任」とは、家庭連合の怖さを信者の親に十分教えることであると答えているのです(Cー28頁10行〜30頁3行)。

すなわちこれは、親に家庭連合の怖さを十分に知ってもらい、子が改宗するまで絶対解放しないよう、親を教育しなければならないという意味なのです。

このような教育によって、「脱会するまで解放してはいけない」とあえて言わなくても、親の方がそういう判断力を持つようになると語っています(Cー31頁3〜7行)。

高澤牧師は、親に対する「教育」過程で、信者を拉致監禁するようそそのかすため、「子供は命がけで信仰しているのだから、救出するために親も命がけで」取り組まなければならないと指導します(Cー69頁5〜7行)。

その結果、信者の親は仕事を辞め(Cー69頁8〜11行)、

同居している老人を老人ホームに入れてまで(Cー72頁2〜8行)

子供の拉致監禁を実行するようになります。

高澤牧師のこのような働きかけによって、信者の親がいかに異常な心理状態に陥ってしまうかは、高澤牧師の証言によって明らかになっています。原告の母親が、子である信者をマンションに監禁した後、もし娘が再度逃げるのであれば「犯罪者」を野放しすることになるので、娘を殺して自分も死のうと思い、いつも包丁をさらしに巻いて話し合いに臨んだと証言しているのです。(Dー23頁127〜24頁13行)