憲法記念日に想う「袴田事件」。なぜ警察・検察は証拠を捏造したのか?なぜ地裁・高裁・最高裁は、無実の人を死刑囚にしたのか?

2024年7月18日の静岡朝日テレビニュースです。

アナウンサー: 1966年清水市で一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌と事件の前から家族ぐるみで親交があった女性(渡辺さん)が警察は事件直後から袴田さんを犯人と決めつけていたと証言しました。

渡辺昭子さん(90): 私はいつも「母さん母さん」って、2つしか違わないのに「母さん母さん」って言われて、

アナウンサー: 袴田さんが母さんと呼んでいた渡辺昭子さん90歳、事件からちょうど58年がたった先月30日、静岡市清水区で開かれた支援者集会で登壇しました。

渡辺さん: 絶対犯人じゃない、そればっかり私たちは言い切って、子供たちに言い聞かせてきました。絶対無実です。無罪です。子供たちに言い聞かせてきたました。この何十年。絶対無実です。無罪です。

アナウンサー: 昭子さんの夫、蓮昭さんは旧清水市のキャバレー「太陽」のバンドマンとしてピアノやアコーディオン、ドラムを演奏していました。そこにプロボクサーを引退した袴田さんがボーイとして働き始めたのは事件の5年ほど前のことでした。

渡辺さん: 袴田さんのあだ名がおなかちゃん、袴田さんお腹が出ていたので「おなかでいいよ」なんて。

アナウンサー: 同じ寮で生活していた渡辺さんの家族と袴田さんはプライベートでも一緒に過ごすほどの親しい間柄でした。

渡辺さん: うちの子どもも生まれて袴田さんにずっと可愛がってもらって、どこに行くにも「連れて行くよ」って、おもちゃ買ってくれたり、家族ぐるみで遊園地に行ったり、夏は海へ行ったりしました。

アナウンサー: 渡辺さんが大切に保管するアルバムがあります。ところどころに写真が剥がされた跡。巌さんの写真は小さく写った数枚だけです。1966年に事件発生3日後。・・

渡辺さん: 清水警察署の警察官が来たんですよ。「アルバム見せてくれ」と、写真をどんどんめくられて、「犯人は絶対袴田だ、袴田だ」って。うちの主人はけんか腰で「袴田さんはそんなことをやるはずない」と。頭から「ボクシングやっていた袴田しかない」って帰って行ったんです。「そんなことはない、優しくみんなと付き合っていたよ」って、それしか言うことないです。

アナウンサー: 捜査員は事件直後から袴田さんを犯人と決めつけていたと、渡辺さんは振り返ります。

渡辺さん: キャバレー「太陽」の従業員も「袴田さんはそんなことやらないよね」って、「絶対無実しかないんだ」って、みんなでそう言っていました。

アナウンサー: 警察官が持って行った写真はいまだ返って来ません。渡辺さんは今年5月検察に写真の返還を要求したと言います。

渡辺さん:検察官に「探してみる」って言われたけど、いまだに返答はありません。袴田さんにちゃんと見せて「こうだったよ、ああだったよ」って話したいです。

アナウンサー: 1966年に袴田さんが逮捕された後、血染めになった5点の衣類が出てきたとき、違和感を感じたと言います。物干し場で袴田さんの衣類を見ていたからです。

渡辺さん: おなかちゃんのもの、みんな干していた。だからあんなシャツじゃない。あんなパンツじゃない。絶対違う。見たときにやっぱり無実だと思いました。

アナウンサー: 夫の蓮昭さんは袴田さんの無実を信じたまま4年前、93歳で亡くなりました。

渡辺さん:  夫は「おなかちゃんがそんなことやるわけない、無実だ無実だ」って。

アナウンサー:  1980年に死刑が確定した袴田さんは2014年に釈放されました。しかし、48年にも及んだ拘置所生活による拘禁反応で、今も現実と妄想が入り混じった世界にいます。渡辺さんが袴田さんに最後にあったのは去年3月の支援者集会です。

”キャバレー太陽さんの母さんだよ、分かった?「母さん母さん」っていつも言ってたでしょ。袴田さん「問題はわかりましたもん」。思いだして、思い出してよ 。袴田さんは覚えていないようでした。

渡辺さん: わかるかと思ったら、分からない。本当に残念ね。なんでもっと早く決着がつかなかったのかと。

アナウンサー:釈放から10年再審公判は今年5月にすべての審理を終了しました。判決は9月26日に言い渡されます。

渡辺さん: 絶対おなかちゃんはやらないって、それを信じて何十年も今まで来ています。無罪を祈るばかりです。何十年間悔やんで来ました。早くいい返事が聞きたいです。

以上。

2024年10月9日、検察は控訴の権利を放棄し、袴田さんの無罪が確定。逮捕から58年目です。

 

 

 

 

 

憲法記念日、袴田巌さん裁判に思う。「袴田巌さんの死刑判決を書いた元裁判官 生前に語った後悔と訴え」

元熊本典道裁判官、一審の主任裁判官として袴田さんの死刑判決を書いた人です。後に「公判当初から無罪の心証を持っていた」と明かし、袴田さんの再審請求を支援しました。2020年死去されたということです。

2007年の静岡朝日テレビに出演されたときの熊本典道氏の話です。

「ある手続きの段階にきたときに、これは無罪にするしかなかろうな」「「主文、被告人を死刑に処す」と言ったとき、彼の肩が落ちたのを・・( 涙)・・それを見てからかな、見る前かな、僕もがっくりきた。その後聞いていないですよ。ずっと彼のこうした顔を今でも覚えていますよ」

「人間が人間を裁くなんて、だいたい不可能なこと」「決定的な証拠はまずない。有罪とするには合理的な疑いがなお残る。くり小刀が12、13㎝ですかね。あんな小ちゃなやつでね、全部4人を殺せるか」「その次に裏木戸、留め金をはめたままで下の方だけねじって、彼がひとり入れるだろうか」「もっと重要なのは動機、かなり現金が現場に残っていましたね。取ってないお金が。それが金欲しさにというのも、僕はピンとこなかった」「僕の心の中ではね、無罪で間違っていないと思うけどね」

2014年3月再審開始決定

記者会見の場で、(2018年静岡朝日テレビ放送)

「私が熊本でございます」(涙)「まさかね、こんなところに、聞いてもらえると思わなかった」(涙)「やっとこの日が来たかと」「無念ですよ」「あの判決書きの表現は後から付けた理屈です。はっきり言えば、それは間違いない。書いた本人がそう言って、四十何年悩んできているんだから」

事件から58年たって無罪判決。

袴田裁判を担当した熊田俊博元裁判官はTBSの報道特集で、

「関わってきた裁判官、検察官、再審請求を棄却してきた裁判官、誤判に関わったということで非常に責任が重いと思います」「私自身は裁判官として関わったので私も責任を取るべき人に入っています」

と発言しています。

無罪と分かっていながら死刑判決を下した裁判官たち。なぜ死刑判決を下したのだろうか。どのような圧力があって極刑の死刑判決を下したのだろうか。ここには最高裁判所の判事たちは全く出てきませんが、一番責任を取らなければならないのは最高裁の判事たちだと思います。いまだに謝罪の言葉もありません。袴田巌氏の裁判を見て感じるのは、憲法で保障された基本的人権を守ろうとしない裁判官や判事たちの姿が哀れであります。三権分立を担うにふさわしくない人たちと断言せざるを得ません。

憲法記念日を迎えて、現憲法の改正を主張する人たち、今の憲法維持を主張する人たち。しかし、いずれにしても憲法を、基本的人権を遵守してほしいものであります。