(9)戦後最悪の人権侵害、拉致監禁に深く関わった人たち。ー伊藤芳朗弁護士の陳述よりー

(6)宮村氏の支配的性格

それにしても、宮村氏は胡散臭い人ですねえ。今でも記憶に残っているエピソードはありますか?

伊藤弁護士:  自殺したJ弁護士のことを思い出します。私と同期生だったJ先生は、東京青春を返せ裁判の弁護団の一人でしたが、真面目な形で元信者だった女性と付き合っていました。

ところが、その女性はたまたま宮村氏が脱会説得した人で、宮村氏の腹心の部下みたいな子だった。TYさんではありませんよ。どういう経緯があったかわかりませんが、彼は精神的におかしくなって、仕事もできないような状態になりました。彼の名誉のためにいいておきますが、彼は独身でした。だから、彼女との関係は不倫ではありません。彼はまじめに結婚を考えていたと思います。

jさんから直接聞いたことがありますが、宮村氏が自分たちの交際に反対し、俺たちの関係をつぶしにかかっている、と。

少々わかりにくい話です。J弁護士とその女性が愛し合っているのであれば、その関係に宮村氏が介在しようとしてもできないのではないでしょうか?

伊藤弁護士:  宮村氏のことを知らないから、そうした疑問が出るのは当然のことです。宮村氏はとにもかくにも支配的な人です。それゆえ、宮村氏の手によって脱会した元信者はたちは2つのタイプに分かれます。

一つは、宮村氏の支配を受け続ける人、つまり、神格化された宮村氏に依存する人たちです。そうした人たちは、宮村氏の意に背かない。もう一つは、宮村氏の支配を嫌がり、彼を毛嫌いするようになるタイプです。J先生と付き合っていた女性は、前者のタイプでした。だから、その女性は宮村氏の影響を受けて、J先生との間で、なんらかのトラブルになったのではないかと思います。

被害弁連のメンバーだって、こうしたことは推測できていたはずです。J先生が亡くなった後、そうした自殺の背景をおぼろげながらに知りながら、素知らぬふりをして、被害弁連の弁護士たちが平然と「お墓参りに行こう」と呼びかけてくる。さすがに私は頭にきて、「ふざけるな、あなたたちは、Jさんがなんのためにこんなに追い詰められたのかわかっているだろ」みたいなことを皆に書き送りました。

とても興味深い話です。J弁護士とその女性が愛し合っていたとしても、その女性はJさんより宮村氏の影響力の方が強い。恋愛至上主義的な私からすると、理解しにくいところもありますが、オウム真理教の麻原を中心とした人間関係を思い起こせば、あり得る話かもしれません。宮村氏の支配的な性格に関することですが、青春を返せの原告・GTさん(本件裁判の被告)と宮村氏の関係はどうだったのでしょうか?

伊藤弁護士:  まあ、仲がいいといったレベルではなく、宮村氏からアゴで使われていましたね。決して、宮村氏に反発するようなことはなく、従順そのものでした。男が男にアゴで使われるのを目の当たりにすると、気持ちいいものではありませんでした。

具体的なエピソードはありますか?

伊藤弁護士:  あの頃はまだ携帯がありませんでしたから、宮村氏がGTさんに「お前、このことを誰々に伝えてこい」よ命令すると、すぐに「ハイ」といって飛び出していった。ものすごい頭ごなしでした。「あれもってこい」と言われると、すぐに従う。宮村氏のパシリのように使われ、とても可哀想な印象でした。だから、今でも記憶に残っています。

(8)戦後最悪の人権侵害、拉致監禁に深く関わった人たち。ー伊藤芳朗弁護士の陳述書よりー

(5)全国弁連から宮村氏を排斥

そのあとはどうされたのですか?

伊藤弁護士:  「青春を返せ裁判」からは身を引いたものの、私はその後も全国弁連の活動を続けました。そして、宮村氏の活動の実態を多くの人たちに知らせて、人々が宮村氏の悪行に巻き込まれないようにしないといけないとの衝動に駆られたことから、

「宮村氏の脱会活動が、脱会活動に名を借りた金儲けであり、実態は拉致監禁であり、棄教の強要に過ぎない」ということを知り合いの弁護士や日本基督教団の牧師など、脱会活動に関与している人たちや統一教会信者らの父兄に話しました。

金の臭いがプンプンとする。脱会のやり方が乱暴で、違法性が強い。信者の家族が私たちを頼ってきた場合、クリーンじゃない人物を紹介したら紹介責任を負わなければならない。時を同じくして、日本基督教団の牧師さんたちからも声が上がるようになりました。

宮村氏は法外なお金を取っている、やり方があまりにも乱暴だ。自分たちも宮村氏と同じように見られてしまう。あんな人物を同じ運動体に入れるべきではない。そして、私は先に述べた被害弁連のコアなメンバー、山口、飯田、渡邉、紀藤の4人の弁護士に、全国弁連から宮村氏を排斥すべきだと提案しました。94年のことだったと思います。

全国弁連に父兄から相談があった場合、脱会説得者として宮村氏を紹介しない。宮村氏ととりわけ懇意にしていた紀藤弁護士も消極的だっただろうけど、賛成しました。「宮村氏との付き合いはやめただろうね」と確認すると、「全然」といって付き合いを否定した。その結果、私が全国弁連をやめた2005年までは、宮村氏を全国弁連から締め出すことができました。

もっとも、紀藤正樹弁護士だけは宮村氏と付き合い、宮村氏から紹介される事件を引き受けていたようです。彼が、「宮村氏と付き合っていない」というのは嘘だったわけです。残念なことに、私が辞めた後、宮村氏は再度全国弁連と関わるようになったようです。

〈弁連レベルではなく、個人的に付き合っていたのは紀藤弁護士ばかりではない。私のところに、統一教会信者の妻を持つ夫から、「妻を脱会させたい。ついては脱会説得者を紹介してくれないか」という相談があった。2000年頃のことである。それで、山口広弁護士に相談して欲しいと、山口氏の連絡先を教えた。

しばらくしてから、その夫から連絡があった。「宮村氏を紹介されました。妻の本籍箱に小出浩久氏の『人さらいからの脱出』、TY氏の『監禁250日/証言「脱会屋」の全て』があり、妻はそれらを読んで、宮村氏を毛嫌いしていました。だから、宮村氏に会った瞬間、逃げ出すと思います。宮村氏じゃダメです」

この頃、私は宮村氏が全国弁連から排斥されていたことを知らなかった。伊藤弁護士の話を聞いて、全国弁連の方針に反して、同組織の代表的存在である山口広弁護士が水面下で宮村氏と連携していることを知った〉