日本国内での拉致監禁拷問事件について考える(7)。「人権」は政治・思想・宗教の違いを超えて人間に付与された「普遍的価値」である。ここは北朝鮮か?

高澤牧師裁判(「鳥取教会襲撃事件」)の尋問調書から拉致監禁の動機と手口について調べてみました。

A:  1996年(平成8年)1月23日付の第一回尋問調書

B:  1996年(平成8年)3月26日付の第二回尋問調書

C:  1996年(平成8年)5月21日付の第三回尋問調書

D:  1996年(平成8年)7月9日付の第四回尋問調書 

②、監禁場所の準備

高澤牧師は主尋問で、改宗活動に関して何か準備をするのかという質問に対して、特別にこちら側から準備することはないと答えた上で、準備された場所に出向き、聖書の話や家庭連合の教義の話をするだけだと答えています。(Bー51頁12行〜52頁5行)

また、信者を監禁する場所の確保は誰がするのかとの質問に対し、信者の両親がすると答えています。(Bー52頁6行〜7行)

ところが反対尋問では、監禁場所を高澤牧師のほうで世話することもあると証言し(Cー71頁3行〜6行)、さらには、保証人になることさえもあると述べており(Dー31頁1行〜33頁9行)、主尋問の場合と食い違った証言をしています。これは、高澤牧師は主尋問において、拉致監禁への関与を否定したかったため、虚偽の証言をしたものと考えられます。

③、拉致監禁の指導

高澤牧師は、信者を拉致監禁するに際して、協力者が必要なので親戚を多数集めるよう指導しています。(Cー71頁77行〜72頁1行)

高澤牧師は、岡本圭二君のような悲しい事故を防ぐため、多数の親戚の協力が必要だと述べています。岡本圭二君の事故とは、1994年2月、信者が監禁場所のマンション6階から脱出しようとして転落、瀕死の重傷を負った事故を指します。この発言は、信者の脱出防止および信者拘束のため、大勢の親戚の協力が必要であるという意味にほかなりません。

また、拉致に際して「絶対に他の信者に連絡をとらせないように」と指導し(Cー74頁6行〜9行)、その他、家庭連合信者による奪回を防ぐため、過去の失敗例を具体的に挙げ、失敗を犯さないよう指導すると証言しています(Cー75頁5行〜12行)。

家庭連合信者による奪回を防ぐということは、拉致した信者に対する拘束力を強化することを意味しています。

信者を車で連行するときは、親に対して「信者を絶対に外に出さないように」「車の窓を開けないように」と注意するのかとの質問に、高澤牧師は、言う場合もあるかもしれないが、自分が言わなくても父兄が分かっているので、言うまでもないと証言しています(Dー39頁12行〜40頁2行)。

そして、過去に信者を車に乗せて高速道路を走行中、信者が「トイレに行きたい」というのでサービスエリアでトイレに行かせたところ逃げられたことがあったと述べています(Dー40頁4行〜10行)。

これは勉強会でこういった失敗談を父兄に話しているため、あえて注意しなくても父兄は分かっているという意味なのです。

連行の途中、信者が逃げ出さないよう信者を車の後部座席中央に乗せ、両脇を親族が固めるように指導しているのかと聞かれた高澤牧師は、ここでも「父兄の方々がそれを考えてくださいますので」と答えています(Cー74頁107行〜75頁4行)。

これは、連行中の信者を絶対に外に出さないという強い意志の表れであると言えます。

③、資金調達

高澤牧師は、信者の親が拉致監禁に必要な費用を調達できない場合、尾島淳義氏と相談し、高澤牧師らが資金調達して、不足分を補うと証言しています(Dー48頁4行〜9行)。自分たちで資金調達してまで、他人の子供の拉致監禁を実行することからしても、高澤牧師の関与度合は相当のものであると言えます。

高澤牧師は、父兄と同居している老人がいる場合、老人ホームに入れるように要請することもあると述べ、実際、老人ホームに入れたケースもあると証言しています(Cー72頁2行〜8行)。

 

国内での拉致監禁拷問事件について考える(6)。「人権」は政治・思想・宗教の違いを超えて人間に付与された「普遍的価値」であります。

高澤牧師裁判(「鳥取教会襲撃事件」)の尋問調書から拉致監禁の動機と手口について調べてみました。

A : 1996年(平成8年)1月23日付の第1回尋問調書

B :   1996年(平成8年)3月26日付の第2回尋問調書

C  :  1996年(平成8年)5月21日付の第3回尋問調書

D  : 1996年(平成8年)7月9日付の第4回尋問調書

子の親は、子供を「犯罪者だ」と思い込んでいます。この「犯罪者」という判断はどこから来たのかが問題なのですが、

高澤牧師は、家庭連合を

「キリスト教に名を借りた悪辣非道な犯罪集団以外の何者ものでもない」(Aー68頁1行〜4行)

「あれだけの悪辣な犯罪集団を、信仰という表現で片ずけられるかどうか」(Cー36頁2行)

と表現しています。この「犯罪集団」という発言に対し、反対尋問で家庭連合側弁護士から「具体的に有罪となった刑事事件を何か知っているのか」と質問されると、的を射ない返答をした挙句、

「そのへんのところは私も専門家ではないのでよくわからないんですが」と答え、「物理的な世界ではなく心の世界で罪を犯していることが大きい」と述べています。(Cー36頁5行〜37頁7行)

その返答に対し、「そのようなことで犯罪集団と言うのは牧師として言い過ぎではないか」と問われると、「決して言い過ぎだとは思っていない」と開き直っているのです。(Cー37頁8行〜10行)

このように、高澤牧師の「犯罪集団」発言は、客観的な事実に基づくものではなく、家庭連合に対する敵対感情の表明に他なりません。こうした高澤牧師の敵対感情に基づく「教育」を受けた家庭連合信者の親が、事実を確認しないまま、家庭連合を「犯罪者集団」と思い込んでしまうことは十分に考えられます。

家庭連合信者の親が、その子供に対し、高澤牧師の改宗活動を受けさせるには、順番待ちをしなければなりません。現在(1996年)、何件の順番待ちがあるかについて、高澤牧師は証言を拒否しましたが(C63頁77行〜13行)

順番待ちの父兄が常に多数いることを認めています(Cー65頁10〜11行)。順番待ちの父兄を教育する場として、礼拝後の集会があります。集会には、子供の脱会に成功した父兄が集まり、順番待ちの父兄と話し合います。(Cー65頁12行66頁4行)この集会に高澤牧師が出席することもあります。(Cー65頁12行〜66頁6行)

順番待ちの父兄に対し、拉致監禁の順番を誰が決めるのかについて、尾島淳義(あつよし)氏(西日本福音ルーテル教会の青谷教会信者で高澤牧師の協力者)や「いろんな家族の方々」と相談し、個々の状況によって決めると証言しています。(Cー64頁1行〜5行)

「いろんな家族の方々」というのが、順番待ちの家族だけでなく、既に信者の脱会に成功した家族を含むのかどうかは、この証言だけでは明らかではありません。しかし、脱会に成功した父兄によると、順番待ちの父兄に対する教育システムが存在していることから、こうした父兄が関わっていることも十分考えられます。

順番待ちを決める場合、考慮される「個々の状況」について、合同結婚式に参加する直前という理由は優先状況として考慮されず、むしろ合同結婚式を受けた信者が入籍をし、家庭を出発しようとしている場合が優先されるといいます。それは、家庭を持てば「洗脳されたまま」子を産むことになることなど、状況を総合的に判断した結果であるといいます。(Cー66頁7行〜13行)

さらに、親のほうから、合同結婚式に参加する前に改宗してほしいと訴えてきても、その親の願いを鵜呑みにして早めに行動することはしないと証言しています。(Cー67頁1行〜7行) 結局、信者に対する拉致監禁をいつ開始するかは、親よりも高澤牧師が決定権を持っていることがわかります。

結婚式を挙げた者同士が、入籍して家庭を持ち、子を出産するのは、その夫婦の自由であるはずです。ところが高澤牧師は、こうした人間としての当然の権利を妨げようとし、信者は「洗脳されている」と決めつけ、夫婦の一方拉致監禁して夫婦関係を引き裂くのですから、これほど残酷非道な行為はありません。

順番待ちの期間は、人によって差があると答えていますが(Cー65頁8行〜9行)、何年間も通っている親であっても、本人との接触が持てないために拉致監禁を開始できない場合もあると述べていることから(Cー73頁5行〜74頁5行)、順番待ちには数年を要することもあるようです。

拉致監禁の順番が回ってきた場合、高澤牧師は信者の父兄と、ら拉致する日程、拘束の場所、拘束方法を綿密に打ち合わせます。(Cー73頁5行〜74頁5行)