(1)パトリシア・デユバル氏「解散手続きは国際基準に違反」。国連は日本政府による世界平和家庭連合(旧統一教会)の解散請求をどのように見ているのだろうか。

パトリシア・デユバル氏(フランスの国際弁護士、国際人権法、特に宗教的少数派の権利を専門とする)は2024年9月に国連に「解散手続きは国際基準に違反」との報告書を提出しています。

月間『正論』6月号より

【「公共の福祉」に国連勧告】

実は、国連では、この公共の福祉という概念によって信教の自由を制限しないよう日本に2008年、2014年、2022年と3回にわたって勧告をしてきました。

2008年12月の自由権規約委員会が日本政府に行った勧告はこうなっています。

《締約国は、「公共の福祉」の概念を定義し、「公共の福祉」を理由として規約で保障された権利に対するいかなる制限も、規約で許されるは範囲を超えないようにするための法律を制定するべきである

2014年8月の勧告はこうなっています。

《当委員会は、「公共の福祉」の概念が曖昧かつ無限定であり、規約(第2条、第18条及び第19条)で許容される範囲を超える制限を許す可能性があることに対する懸念を、もう一度繰り返し表明する。当委員会は、前回の総括所見を踏まえ、締約国に対し、第18条及び第19条第三項に定められた厳格な要件を満たさない限り、思想、良心および宗教の自由または表現の自由に対していかなる制限も課さないよう強く求める》 

そして2022年11月の日本に関する最終審査後の総括所見において、委員会は日本政府に対してこう勧告しているのです。

《「公共の福祉」概念を明確に定義し、「公共の福祉」に基づく思想、良心、宗教の自由及び表現の自由に対する制限が、自由権規約で許容された範囲内に止まるよう確保すること

「公共の福祉」という概念自体を信教の自由を制限する根拠とするのは予見性や明確性を備えておらず、見直すべきだと言われていたのです。宗教法人を制限する場合は、伝統的規範や慣習法によるものであってもならないと述べており、ここに日本の裁判所が用いた「社会通念からの逸脱」のような曖昧な概念が含まれることは言うまでもありません。

憲法記念日に想う「袴田事件」。なぜ警察・検察は証拠を捏造したのか?なぜ地裁・高裁・最高裁は、無実の人を死刑囚にしたのか?

2024年7月18日の静岡朝日テレビニュースです。

アナウンサー: 1966年清水市で一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌と事件の前から家族ぐるみで親交があった女性(渡辺さん)が警察は事件直後から袴田さんを犯人と決めつけていたと証言しました。

渡辺昭子さん(90): 私はいつも「母さん母さん」って、2つしか違わないのに「母さん母さん」って言われて、

アナウンサー: 袴田さんが母さんと呼んでいた渡辺昭子さん90歳、事件からちょうど58年がたった先月30日、静岡市清水区で開かれた支援者集会で登壇しました。

渡辺さん: 絶対犯人じゃない、そればっかり私たちは言い切って、子供たちに言い聞かせてきました。絶対無実です。無罪です。子供たちに言い聞かせてきたました。この何十年。絶対無実です。無罪です。

アナウンサー: 昭子さんの夫、蓮昭さんは旧清水市のキャバレー「太陽」のバンドマンとしてピアノやアコーディオン、ドラムを演奏していました。そこにプロボクサーを引退した袴田さんがボーイとして働き始めたのは事件の5年ほど前のことでした。

渡辺さん: 袴田さんのあだ名がおなかちゃん、袴田さんお腹が出ていたので「おなかでいいよ」なんて。

アナウンサー: 同じ寮で生活していた渡辺さんの家族と袴田さんはプライベートでも一緒に過ごすほどの親しい間柄でした。

渡辺さん: うちの子どもも生まれて袴田さんにずっと可愛がってもらって、どこに行くにも「連れて行くよ」って、おもちゃ買ってくれたり、家族ぐるみで遊園地に行ったり、夏は海へ行ったりしました。

アナウンサー: 渡辺さんが大切に保管するアルバムがあります。ところどころに写真が剥がされた跡。巌さんの写真は小さく写った数枚だけです。1966年に事件発生3日後。・・

渡辺さん: 清水警察署の警察官が来たんですよ。「アルバム見せてくれ」と、写真をどんどんめくられて、「犯人は絶対袴田だ、袴田だ」って。うちの主人はけんか腰で「袴田さんはそんなことをやるはずない」と。頭から「ボクシングやっていた袴田しかない」って帰って行ったんです。「そんなことはない、優しくみんなと付き合っていたよ」って、それしか言うことないです。

アナウンサー: 捜査員は事件直後から袴田さんを犯人と決めつけていたと、渡辺さんは振り返ります。

渡辺さん: キャバレー「太陽」の従業員も「袴田さんはそんなことやらないよね」って、「絶対無実しかないんだ」って、みんなでそう言っていました。

アナウンサー: 警察官が持って行った写真はいまだ返って来ません。渡辺さんは今年5月検察に写真の返還を要求したと言います。

渡辺さん:検察官に「探してみる」って言われたけど、いまだに返答はありません。袴田さんにちゃんと見せて「こうだったよ、ああだったよ」って話したいです。

アナウンサー: 1966年に袴田さんが逮捕された後、血染めになった5点の衣類が出てきたとき、違和感を感じたと言います。物干し場で袴田さんの衣類を見ていたからです。

渡辺さん: おなかちゃんのもの、みんな干していた。だからあんなシャツじゃない。あんなパンツじゃない。絶対違う。見たときにやっぱり無実だと思いました。

アナウンサー: 夫の蓮昭さんは袴田さんの無実を信じたまま4年前、93歳で亡くなりました。

渡辺さん:  夫は「おなかちゃんがそんなことやるわけない、無実だ無実だ」って。

アナウンサー:  1980年に死刑が確定した袴田さんは2014年に釈放されました。しかし、48年にも及んだ拘置所生活による拘禁反応で、今も現実と妄想が入り混じった世界にいます。渡辺さんが袴田さんに最後にあったのは去年3月の支援者集会です。

”キャバレー太陽さんの母さんだよ、分かった?「母さん母さん」っていつも言ってたでしょ。袴田さん「問題はわかりましたもん」。思いだして、思い出してよ 。袴田さんは覚えていないようでした。

渡辺さん: わかるかと思ったら、分からない。本当に残念ね。なんでもっと早く決着がつかなかったのかと。

アナウンサー:釈放から10年再審公判は今年5月にすべての審理を終了しました。判決は9月26日に言い渡されます。

渡辺さん: 絶対おなかちゃんはやらないって、それを信じて何十年も今まで来ています。無罪を祈るばかりです。何十年間悔やんで来ました。早くいい返事が聞きたいです。

以上。

2024年10月9日、検察は控訴の権利を放棄し、袴田さんの無罪が確定。逮捕から58年目です。