今、注目の共産党について考える(29)日本共産党解散の勧め

暴力革命以外で、例えば、共産党が議会で多数を占めて共産党主導の連立政権が誕生したとします。この政権は直ちに「生産手段の社会化法案」を議会に提案します。連立を組む民進党や生活の党は反対しますが、共産党の賛成多数で可決します。成立した「生産手段の社会化法」にもとずいて、政府は国民に全財産を差し出すようにとの行政命令を出します。まず最初に国会議員から始め、拒否した議員は身分が剥奪され、逮捕されます。政府は違法行為として厳しく取り締まります。法律にしたがって資産没収に応じなければ、連立を組む民進党の岡田代表や生活の党小沢一郎氏といえども議員身分剥奪、逮捕、刑務所に収容されます。共産党の議員であっても、これに反対する人は、日和見主義者として粛清されます。連立政権は最終的に筋金入りのマルクス・レーニン主義者による共産党支配の政権に変容し、ついには共産党一党独裁の政治が始まります。共産党一党独裁が確立すると、憲法を改正して、自衛隊を廃止・改組して、新しく人民解放軍(軍隊)を創設します。警察や人民解放軍の武力を背景に、反対する国民や反革命を目指す国民集団に対する徹底的な弾圧が始まります。共産党によってブルジョア階級と決めつけられた国民や、土地・生活手段を奪われた国民は強制的に移住させられ、共産党管理下のもと僻地において強制労働に従事させられます。奴隷労働者の誕生であります。これに従わないものは不破哲三氏が言うように「力をもって取り締まる。当たり前だ。政府の当然の権利だ」ということになります。共産党が政権をとって、生産手段の社会化がもたらす惨禍について述べましたが、信じられない、と言う人もいるかも知れません。何しろ日本では経験したことがないのですから。しかし、そのような人たちのことをレーニンは次のように言っています。「自分が打倒されることを予期せず、そうしたことを信ぜず、またそれについて考えようとさえしなかった、打ち倒された搾取者ども」と嘲りをもって表現しています。

今、注目の共産党について考える(28)日本共産党解散の勧め

「共産党の入った政権なるがゆえに従わないという勢力が出た場合、そういう勢力が様々な暴挙に出た場合、それに対して黙っているわけにはいかない、そういうのは力を持ってでも取り締まるのは当たり前だ、これは憲法にもとずく政府の当然の権利でしょう。そういうことについて我々は綱領に明記している」。これは不破哲三氏の平成元年予算委員会での発言です。共産党政権に反対したり従わなければ、「暴挙」だとして「力でもって取り締まる」のは「政府の当然の権利」だという共産党最高幹部の発言です。これが共産党の人民民主主義観です。もし共産党による政権が樹立されれば、当然反対運動も起こるでしょう。その反対の意見に共産党は耳傾けるのではなく、“民主主義の守護神”を自認する共産党は「力で取り締まる」という。少数意見を尊重せよとか、民主主義的価値観(言論の自由、結社の自由など)を守るとかいう、今の共産党の主張は政権を取るための単なる方便にすぎないということが分かります。共産党のいう人民民主主義とは、共産党の主張のみが正しいとする独善主義、そして独善にもとずく独裁主義であります。共産党のいう人民民主主義と我々のいう民主主義とは全く異質であります。共産党政権ができて、生産手段の社会化法案が成立し、全財産を差し出すようにとの行政命令がでた場合、それに反対したり、応じない場合は「法律違反」の「暴挙」となって「力で取り締まる」ということです。このような人間性を無視した法律を制定して、「力による取り締まり」を行うという。このようなやり方は人間社会に恐ろしい悲劇を産むことになります。これでは旧ソ連とどこが違うというのでしょうか?