今注目の日本共産党について考える(3)。破防法制定につながった日本共産党の『50年問題』
破防法制定に至った理由について考えてみます。まず、共産党員として長く活動してきた人の証言を見てみます。
【筆坂秀世・元共産党参議院議員】は
「51年綱領」というのがあって、いま共産党は「51年文書」と言い換えていますが、これは完全に暴力革命なんです。火炎瓶を投げたり、中核自衛隊を作ったり、山村工作隊を作ったり、実際にそこへ身を投じた若者が大勢いた。共産党はいま、「あれは野坂参三や徳田球一が勝手にやったことで共産党とは関係ない」と言っていますが、そんな理屈は通用しません。野坂さんや徳田さんは共産党を代表していたわけで、野坂さんはその後も共産党の中央委員会議長にまでなるわけですから。この武装闘争によって破防法が制定されたのであって、「破防法による監視はけしからん」と文句を言うのであれば、まず自らの過去をもっと真摯に反省しないとダメですよ。(Hanada 2016 年6月号)
【兵本達吉・元共産党国会議員秘書】は、
1950年、すでに朝鮮戦争の準備をしていたソ連共産党や中国共産党から、それまで「愛される共産党」とか、「平和革命」を唱えていた野坂参三や日本共産党の指導者がモスクワに呼び集められた。スターリンが直々に参加した会議で「武装闘争」に決起する指令を受けて、・・「人民戦争」=内乱に立ち上がったのが、いわゆる「50年問題」であった。地下の司令部が設置され、ここに軍事司令部・軍事委員会が設置された。武器として火炎瓶の作り方が指導された。・・全国各地の交番・派出所を襲撃して警官を傷つけ、殺傷し、ピストルを奪ってきたり、中国革命の人民戦争を模して山に立て籠もったり(山村工作隊)、さらには三大騒擾事件といわれるものを引き起こした。(1)血のメーデー事件(2)吹田・枚方事件(3)大須事件である。それぞれの事件に直接・間接にかかわった人たちが詳細な研究書を発表しているので、興味のある方は直接読んでもらいたい。これら三大騒擾事件は、党の軍事委員会の方針に従って計画的に起こされた事件であった。(Hanada 2016 年6 月号)
警察が日本共産党をどのようにみているのか、【昭和63年警察白書】を見てみます。
日本共産党は、終戦後、「愛される共産党」を標榜するとともに、占領下での「平和革命」への可能性を主張し、戦後の混乱期に乗じて勢力の拡大に努めた。しかしこの主張は1950年、コミンフォルムから痛烈な批判を受け、これに端を発する党内分裂後再び党の統一を回復した1951年には、第5回全国協議会を開催して、平和革命論を否定し、暴力革命唯一論を採る「51年綱領」を採択するとともに、軍事方針を決定し、軍事組織の結成と暴力的破壊活動の展開に力を注いだ。しかし、その後、日本共産党は武装闘争戦術の行き詰まりと、これに対する反省から、1955年第6回全国協議会を開催して、それまでの戦術を自己批判し、戦術転換を図った。
公明党は共産党をどのようにみているのか【2021年3月25日公明新聞】を見てみます。
「日本共産党は、現在においても、破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」ーー。政府は9日に閣議決定した答弁書で、共産党が従来通り破防法の調査対象であることを、あらためて表明した。日本維新の会の参議院議員が提出した質問主意書に答えた。・・共産党が、日本で暴力による共産主義革命を起こそうとしたことは歴史的事実である。1951年に同党が第5回全国協議会で採択した「51年綱領」と「軍事方針」に基づいて「武装闘争の戦術を採用し、各地で殺人事件や騒擾(騒乱)事件などを引き起こした」。その後も「暴力革命の可能性を否定することなく、現在に至っている」。これは、公安調査庁がホームページでも公表している公式の見解だ。・・・立憲民主党は衆院選小選挙区での「『共産票』を期待する」(20日付「毎日」)とされるが、目先の選挙目当てで共産党の危険な革命戦略に組み込まれていくことを選択するのか、立憲民主党の見識が厳しく問われてもいる。
GHQは共産党をどのようにみていたのか【マッカーサーの吉田茂首相に宛てた書簡】を見てみます。
マッカーサーは1950年7月18日付で日本共産党機関紙「アカハタ」の無期限発行停止を命じ、吉田茂首相に宛てた「書簡」にはこう記されています。「今日までの諸事件は共産主義が公共の報道機関を利用して破壊的暴力的綱領を宣伝し、無責任、不法の少数分子を扇動して、法に背き秩序を乱し、公共の福祉を損なわしめる危険が明白なことを警告している。それゆえに日本において共産主義が言論の自由を濫用して不法な扇動を続ける限り、公共報道の自由を彼らに使用させることは公共の利益のために拒否されねばならぬ」。