大阪都構想実現の必要性について考える(86)。基礎自治体である大阪市に求められる「子ども・子育て政策」と「超高齢者社会政策」。

いま少し金井利之東京大学法学部教授の話に耳を傾けたいと思います。『超高齢社会の自治体再編政策』より。

「超高齢社会で重要なのは、高齢者政策と少子化対策とを並行して行うことである」。

「少子化問題が解決しない限り、超高齢社会問題は解決不可能だからである」「都市問題への対処は、都市政策だけではなく、地方圏政策が必要であるのと同じなのである。こうした政策編成をパッケージとして提示することができて、はじめて、超高齢社会への対処が可能になる」。

「子ども・子育て政策の成否こそが、真の意味での高齢化対策を左右する」。

「そして、子ども・子育て政策は、視野狭窄の保育所整備だけに終わるべきではない。子ども・子育ては、出生前から、成人するまでの、全若年世代人口に対しての、24時間1年365日の切れ目なき日常の連続である。こうした政策領域が完全に充填されて、超高齢社会の自治体政策の再編が完了する。現在の政策再編は穴だらけである。唯一整っているのは、6歳から15歳までの、午前8時頃から午後3時頃までの、月曜日から金曜日までの、夏季・年末年始・春季休業期間を除く時期の子ども・子育て政策のみである(しばしば、義務教育と呼ばれている)。それ以外は空白・空隙だらけなのである。自治体の役割は大きいと言わなければならない」。

金井氏が言われるように、「超高齢社会政策」や「子ども・子育て政策」を担う基礎自治体としての市町村の役割は重大であります。大阪市も基礎自治体でありますので「超高齢社会問題を解決していくための政策」、「子ども・子育て政策」を担っていくのは当然であります。しかし振り返って見ますと、大阪市はこの本来の役割に徹することができず、子ども子育て予算はごくわずかで、たとへば小中学校にクーラーも設置せず、中学校給食も行っていませんでした。改善されたのは橋下市政になってからです。橋下市政以前はその資源(財源)の多くが二重行政といわれる事業に費やされ、多くの無駄・財源の浪費を行ってきたのは周知の事実であります。その一番の原因が大阪府との二重行政にあったことは明白であります。したがって二重行政を解消し、大阪市域の基礎自治機能の充実をはかるために、大阪市役所を基礎自治機能に徹する役所(特別区役所)に作り変えなければならない、という議論が起きるのは当然であると言えます。またそうしなければ、次の時代を担っていくことはできず、このままでは「相当悲惨な社会」となっていってしまいます。

 

大阪都構想実現の必要性について考える(85)。「相当に悲惨な社会となる」まえに、やれることがあるはず。

東大法学部教授・金井利之氏の、「一握りの超高齢者を除き、多くの超高齢者は苦境に立つ」「結果的に超高齢者は安心して生活できず、相当に悲惨な社会となる」との言葉は衝撃的であります。このまま、なんらの対策もなく超高齢社会に進んでいいけば、金井氏が言われるような「悲惨な社会」、「結果的に社会が支えきれずに、平均寿命が短命化して、政策編成と超高齢者社会の望ましくない再均衡が生じ得る」時代がやってくることは、私にも想像できることであります。

ここで私たちが住んでいる大阪市の、人口に占める就業者の割合について考えてみたいと思います。いわゆる統計上の生産年齢人口は15歳〜64歳までですので、この中には当然働いていない人もいます。したがって就業人口について調べてみる必要があります。

そこでまず、大阪市の夜間人口に占める就業者の割合ですが、平成7年では51.5%(夜間人口259万6486人、うち就業者133万6176人)です。それが平成22年になりますと42.9%(夜間人口266万5314人、うち就業者114万3391人)となっています。平成7年の時点ですでに、いわゆる「1人でプラス1人を支える時代」に突入し、平成22年に至ると「1人でプラス1.3人を支える時代」になっていることが分かります。自分を含めると「就業者1人で2.3人を支える時代」ということになります。今は平成30年ですからこの数字はさらに進んでいることになります。支えきれなく時代がやってくることは容易に想像できます。

次に昼間人口に占める就業者の割合について調べてみますと、平成7年では65.0%(昼間人口380万3203人、うち就業者247万1708人)。平成22年になると55.9%(昼間人口353万8576人、うち就業者197万8015人)となっています。大阪市内で働く人が大きく減少しているのがわかります。少子高齢化の進展や大阪の産業の衰退が大きな要因と推測できます。

「相当に悲惨な社会」がやってくる前に、私たちがやらなければならないことはすべてやらなければなりません。変革や改革を恐れるあまり、現状維持にこだわり続けるならば、金井先生が予見されたような「悲惨な社会」となって行くでしょう。