大阪都構想実現の必要性について考える(84)。「結果的に社会が支えきれなくなる」「相当に悲惨な社会となる」
東京大学法学部教授、金井利之氏の『超高齢社会の自治体政策再編』より以下引用です。
「大都市圏では、地方圏からの人口流入により、必ずしも人口減少が目に見えて起きているわけではない、しかし、少なくとも、高度成長以来、大量に流入してきた世代が高齢化を迎え、いわば、高齢者過密問題を引き起こしつつある。そして、そのロット(絶対数)は、地方圏が直面してきた水準をはるかに凌駕するため、大都市圏での超高齢化は、極めて困難な問題を投げかけている」。
「過疎問題に過疎政策、都市問題に都市政策、という発想に従えば、超高齢社会には超高齢政策を展開するのが当然であろう。自治体が超高齢政策を先導することが、国・企業に対する最も重要な働きかけである。しかし、超高齢政策は、それ単独では、結果的には対処療法的なものに留まることが避けがたい。年金の再計算を見れば明らかである。少子高齢化と超高齢化が進めば、基本的には年金は再計算するごとに不足する。そのために、給付を削減するとともに、負担を引き上げることで、帳尻を合わせざるを得ない。そして、ある時点での年金「改革」で帳尻があったとしても、いずれは成り立たなくなる。なぜならば、少子高齢化が継続的に進めば、さらに、給付を削減し、負担を引き上げなければならない。つまり超高齢社会への政策再編は、砂漠で蜃気楼のオアシスを求めるようなもので、『逃げ水』のように、常に、彼方に遠ざかってしまうのである」。
「超高齢社会で長生きするというリスクが顕在化しても、安心して生活できるようにするのが、リスクへの対処としての社会保障制度の役割である。しかし、少子高齢化が持続する限り、このような政策編成を構築することは、至極困難である。超高齢者が安心して暮らせるような社会ができれば、それに応じて、平均寿命は高止まりして、政策編成の持続可能性は厳しい。しかし、そのような政策編成の構築に失敗すれば、結果的に超高齢者は安心して生活できず、相当に悲惨な社会となる。金融資産や家族関係資本や健康な身体という資本を持つ一握りの超高齢者を除き、多くの超高齢者は苦境に立つ。そして、結果的に社会が支えきれずに、平均寿命が短命化して、政策編成と超高齢社会の望ましくない『再均衡』が生じ得る」。
金井氏はこのように超高齢社会の厳しい現実を予測しています。20年後には高齢化率は33.3%になります。50年後には40%を越えると言われています。1人が1人の高齢者を支えるという社会が近い将来現実のものとなります。金井氏の表現を借りれば、若者にとっても超高齢者にとっても「相当に悲惨な社会となる」という事です。そして、このままでは「結果的に社会が支えきれなくなる」時がやってくるとの警告もされています。