今、注目の共産主義について考える(97)。北鮮帰還事業(20)。帰国事業の主犯は在日の朝鮮総連。

先の対談の中で坂中氏は、

「北朝鮮への帰国は、60年、61年がピークで、63年以降はガタッと減ります。しかし70年代の半ばでも、朝鮮総連は各地方本部に人数を割り当てて、帰国させていた。そのころは地方本部にも北朝鮮に帰った人たちの悲惨な状況が伝わっていましたから、人数を揃えるのに難儀した。・・・80年代に入ると、さすがに朝鮮総連も帰国運動の行き詰まりは分かっていたはずですが、忠誠を誓う金日成主席にそれを言うことは絶対できない」と。

また、「帰国者の中でも朝鮮総連の活動家は、帰国者の意見を集めて提言するとか、待遇改善を求めるとかいろんな活動をやったけれども、そのためにかえって睨まれることになった。朝鮮総連の関係者で強制収容所に入れられた人は多い。それと、朝鮮総連の韓議長が帰国運動の名の下に反主流派を北朝鮮に送り、金日成主席が彼らを処刑するという連携ができていた。韓議長に帰国しろと言われると、それには逆らえない状況になっていた」と述べています。

金日成の指示で北鮮帰還運動を熱心に行って来た朝鮮総連。1959年に帰還事業が始まると、金日成の指示で帰国者を集め、多くの同胞を北送した朝鮮総連。生活苦や強制収容所など北朝鮮の悲惨な状況が伝わってきても、金日成に忠誠を誓って、人数を揃えて在日同胞を北朝鮮に帰国させてきた朝鮮総連。北に帰国した人達が「人質」となっているが故に、金日成の命令は日本にある朝鮮総連であっても、恐怖心と相まって、金日成の命令はさらに絶対的なものとなっていったのでしょう。まさに蟻地獄の中にはまった状態です。さらに驚愕したのは、朝鮮総連内の派閥争いに帰国運動を活用し、金日成の権力さえも利用して自らの権力を維持してきたという韓議長に関する坂中氏の指摘であります。 自分の独裁権力維持のために、日本にある朝鮮総連が金日成と結託して総連の政敵を粛清していたとは、とても信じられないようなことであります。

なぜ、北鮮帰還事業という戦後最大の人権蹂躙事件に対して、在日の朝鮮人組織は何故、人権侵害を訴えないのか?不思議に思っていましたが、朝鮮総連がこの人権侵害事件の当事者であるということが、大きな要因であると理解できました。自らの犯罪を、自らが告発できないという事情があったのだと思います。

田氏は少し控えめにこのように述べています。

「たしかに、在日コリアンが声を上げようとしても、向こうに残されている家族に被害が及ぶのを恐れて 、なかなかできませんでした。私の母だけでなく、我が子が辛い目にあっているのはわかっていても、口を閉ざさざるを得ない、そういう人がたくさんいました。北朝鮮に子供を奪われた在日の母親たちは、本当にみなよく耐えたと思います。しかし、耐えてきたのは、別の理由もあって、どうせ日本人に言っても分かってもらえないという思いや、民族的な自尊心というか、帰国運動は自分たちの失敗だから今さら言えないという気持ちもありました」と。

しかし、いかなる理由があろうとも見過ごしていい問題ではありません。在日の皆さんこそが、まず声を上げなければならないのではないでしょうか。

今、注目の共産主義について考える(96)。北鮮帰還事業(19)。日朝間の問題は拉致だけではない。

「中央公論」2006年11月号に《日朝間の問題は拉致だけではない、北朝鮮帰還事業の爪痕》と題する対談が掲載されていました。坂中英徳氏(法務省退官後、脱北帰国者支援機構代表として活躍)と北朝鮮に帰国事業で帰還した兄を持つ田月仙氏(声楽家)との対談です。

田氏は

「60年に、四人の兄が北朝鮮へ渡って行きました。長男が17歳、一番下が10歳の時です。しかし、長男と次男がスパイ容疑をかけられて、四人とも一晩のうちに強制収容所に入れられてしまいました。・・・兄たちが捕まったのが69年で、それから9年間、収容所生活を強いられました。最初の1年間は収容所の中の身動きもできないような監獄に入れられ、そこで拷問を受けて、自白を強要された。二番目の兄は囚われた1年後に死んでしまいました。まだ24歳ですよ」と対談の中で述べられています。

また、「いろんな方の話しを聞いていると、検閲を受けたり、黒く塗りつぶされたりはするけれど、いくらかは手紙が届いていたようです。そこには、生活用品や物を送ってほしいというようなことばかり書かれていたといいます。大人たちは、誰々さんの息子さんは帰国したけれど死んでしまったとか、そんな話を陰でしていました。死んだ理由が分からないこともあれば、お腹があまりに空いて、共同農場の牛のお乳を飲んで殴り殺されたとか、そんな噂が広まったこともありました」と帰国者の悲惨な境遇についても触れられています。

坂中氏は、対談の中で

『1959年から84年にかけて、日本に住む在日韓国・朝鮮人と彼らの家族の多くが、いわゆる「北朝鮮帰還事業」によって北朝鮮に帰って行きました。その数は9万3340人。その中には約6800人の日本人が含まれています。結果的に、彼らは北朝鮮の「人質」となり、日本に残った家族・親族は、金をよこせとか、場合によっては拉致などの犯罪に協力しろとか、さまざまな脅迫を加えられてきました』。

「日本と北朝鮮の間には、拉致問題以上に大きい、9万3000人の北朝鮮帰国者の問題がある。人権を抑圧され、飢餓状態に置かれている帰国者の実情からすると、多くが日本に戻ってくる可能性が高い。日本政府は彼らの帰国に備えて、受け入れ体制を整えるべきだ」と話しています。

日本政府は、本腰を入れて、核・ミサイル・拉致問題とともに北鮮帰還問題の解決を目指さなければなりません。改めて強く思います。