今、注目の共産主義について考える(96)。北鮮帰還事業(19)。日朝間の問題は拉致だけではない。
「中央公論」2006年11月号に《日朝間の問題は拉致だけではない、北朝鮮帰還事業の爪痕》と題する対談が掲載されていました。坂中英徳氏(法務省退官後、脱北帰国者支援機構代表として活躍)と北朝鮮に帰国事業で帰還した兄を持つ田月仙氏(声楽家)との対談です。
田氏は
「60年に、四人の兄が北朝鮮へ渡って行きました。長男が17歳、一番下が10歳の時です。しかし、長男と次男がスパイ容疑をかけられて、四人とも一晩のうちに強制収容所に入れられてしまいました。・・・兄たちが捕まったのが69年で、それから9年間、収容所生活を強いられました。最初の1年間は収容所の中の身動きもできないような監獄に入れられ、そこで拷問を受けて、自白を強要された。二番目の兄は囚われた1年後に死んでしまいました。まだ24歳ですよ」と対談の中で述べられています。
また、「いろんな方の話しを聞いていると、検閲を受けたり、黒く塗りつぶされたりはするけれど、いくらかは手紙が届いていたようです。そこには、生活用品や物を送ってほしいというようなことばかり書かれていたといいます。大人たちは、誰々さんの息子さんは帰国したけれど死んでしまったとか、そんな話を陰でしていました。死んだ理由が分からないこともあれば、お腹があまりに空いて、共同農場の牛のお乳を飲んで殴り殺されたとか、そんな噂が広まったこともありました」と帰国者の悲惨な境遇についても触れられています。
坂中氏は、対談の中で
『1959年から84年にかけて、日本に住む在日韓国・朝鮮人と彼らの家族の多くが、いわゆる「北朝鮮帰還事業」によって北朝鮮に帰って行きました。その数は9万3340人。その中には約6800人の日本人が含まれています。結果的に、彼らは北朝鮮の「人質」となり、日本に残った家族・親族は、金をよこせとか、場合によっては拉致などの犯罪に協力しろとか、さまざまな脅迫を加えられてきました』。
「日本と北朝鮮の間には、拉致問題以上に大きい、9万3000人の北朝鮮帰国者の問題がある。人権を抑圧され、飢餓状態に置かれている帰国者の実情からすると、多くが日本に戻ってくる可能性が高い。日本政府は彼らの帰国に備えて、受け入れ体制を整えるべきだ」と話しています。
日本政府は、本腰を入れて、核・ミサイル・拉致問題とともに北鮮帰還問題の解決を目指さなければなりません。改めて強く思います。