今、注目の共産党について考える(7)日本共産党の日本人民共和国憲法草案

共産党のいう労働者階級が支配する世の中、プロレタリア独裁の社会とはどのような社会なのだろうか。ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊して、「その経済制度、社会の土台に毎年数百万の奴隷労働が組み込まれた、社会主義国とは言えないような社会であったことが明らかに」(兵本達吉氏)なりました。毎年数百万人の奴隷労働者がいたということであります。プロレタリア独裁で、労働者天国であるはずの社会主義社会で奴隷労働者が、しかもこんなにも多くいたという、全く信じられない事実であります。かってシベリヤに抑留された日本人が過酷な労働を強いられたことからして、奴隷労働者の境遇も推し量ることができます。北朝鮮の強制収容所での人間としての限度を超えた悲劇については、日本のメデイアでも見聞するところであります。労働者階級が支配する、共産党のいう労働者の天国であるはずの社会主義、共産主義の国において、なぜ奴隷労働というものが存在するのか。日本人民共和国憲法草案第三十二条「労働の期間及び条件は労働者の健康、人格的威厳または家庭生活を破壊するものであってはならない」。第三十三条「人民は休息の権利を持つ。この権利は一周四十時間労働制、一周一日・一年二週間以上の有給休暇制、休養のための諸施設ならびに労働諸法規によって保障される」。三十六条「家のない人民は国家から住宅を保障される権利をもつ」。中華人民共和憲法にも第四十三条に「中華人民共和の勤労者は、休息の権利を有する。国家は、勤労者の休息及び休養のための施設を拡充し、職員・労働者の就業時間及び休暇制度を定める」とあります。社会主義の国は労働者にとって天国ではなかったのか?世界共産革命のリーダーであったソビエト社会主義共和国連邦や中華人民共和国こそ、その見本になるはずではなかったのか?しかし現実には数百万人の奴隷労働者によって経済・社会が支えられていた。かって地上の楽園として日本のマスコミは北朝鮮を礼賛したが、現実は地上の地獄であった。憲法で、プロレタリア独裁をいかに美化しようと、その行き着く先は奴隷社会なのか。

今、注目の共産党について考える(6)日本共産党の日本人民共和国憲法草案

日本人民共和国憲法草案第九条に、「人民は民主主義的な一切の言論、出版、集合、結社の自由をもち・・」と書かれ、また第十条には「人民に信仰と良心の自由を保障するため宗教と国家、宗教と学校は分離され、宗教的礼拝、布教の自由と共に反宗教的宣伝の自由もまた保障される」とあります。「宗教と学校は分離」するということですので、佛教や、キリスト教、神道などの教育理念にもとづく学校・大学は認められない、廃校ということになります。一見自由が認められているかのような文言ですが、『共産党独裁』を維持するために必要な、いわゆる“民主主義的な言論、民主主義的な出版、民主主義的な結社”の自由が保障されるのであって、『共産党独裁』に反する、共産党から見て“民主主義的でない言論”、共産党からみて“民主主義的でない出版”、共産党からみて“民主主義的でない結社”の自由は保障されないということであります。中華人民共和国では堂々と言論統制やメデイアの統制・監視が行われ、宗教迫害や人権侵害の状況は世界中から批判されています。また野党の存在はなく、共産党の一党独裁が続いております。日本人民共和国憲法草案では第百条に「日本人民共和国の共和政体は憲法改正の対象となり得ない」と記されています。反革命は絶対に許さないということです。言論の自由も信教の自由もそれが共和政体の存在を脅かさない範囲内でしか認めないということであり、共和政体を脅かす存在になれば、反宗教的宣伝の自由を活用して宗教を弾圧する、言論の自由を弾圧する、人権侵害も行うということでしょう。日本人民共和国憲法草案の前文にあるように「人民に主権をおく民主主義制度」「人民のための政治が行われるところの人民共和政体」、いわゆる社会主義社会、共産主義こそ絶対的であり、その絶対性を維持するため、共産党の一党独裁を脅かさない範囲内でしか自由は認めないということであります。そしてその認めるべき自由の範囲を決めるのが共産党であり、日本人民共和国憲法草案によれば、国会の代議員から選ばれた25名の国会常任幹事会であり、さらにそのトップの国会常任幹事会議長(共産党のトップ)ということになります。結局、日本人民共和国憲法草案では自由は認められていないという結論になります。