(7)戦後最悪の人権侵害、拉致監禁に深く関わった人たち。ー伊藤芳朗弁護士の陳述書よりー
伊藤弁護士: 当時概算した結果、大体毎月300万円くらいの金額を宮村氏は得ていることが分かりました。内訳は、これから脱会説得を行う順番待ちの人が200人で、毎月200万円。残りの100万円が支援金、謝礼金です。会計報告がなされていないこともわかりました。
日本基督教団のような宗教団体が献金を募るならまだ理解できますが、宗教家ではなく、会社(株式会社タップ)の社長に過ぎない宮村氏がこうした大金を手中にすることは理解できませんでした。
今回の裁判の原告の兄、GT君は青春を返せ訴訟の原告であり、当時、宮村氏の会社に勤めていました。それで、彼に「どんな会社なのか、どんな業務をしているのか」と質問したことがある。ところが、口ごもって、きちんと説明してくれませんでした。
宮村氏にはどうしても不透明なことが多すぎるという印象を持ちました。そうしたことから、宮村氏への不信感は決定的になりました。それで私は山口広弁護士に対して「一緒に(反統一教会)運動をする上で、会計が不明朗だと後々問題になるかも知れないから、宮村さんに会計報告を求めたほうがいいのではないか」と話し、会計報告を求めました。
そうしたところ、宮村氏の私に対する攻撃が激しさを増すようになりました。それも、宮村氏が直接私に対して攻撃するのではなく、原告団の中で最も宮村氏の言いなりになってしまった元信者らを使っての攻撃でした。例えば、こうした元信者らは、「伊藤弁護士を弁護団から外してもらわないと、自分たちはやめる」と言い出し、私が何か事務連絡をする度に、それに対して猛抗議をするようになりました。
また、原告団の連絡網を私が作成して配布したところ、ある元信者が、「個人名を勝手に書いてばらまいた」と言った批判をしてきました。原告団を結成して裁判闘争を共闘している以上、原告団全員の名前が分かっていることは当たり前のことですが、いくら説明しても、「弁護士としてあるまじき行為だ」といった抗議を一々私の事務所に電話や文書でしてきたり、「伊藤弁護士はおかしなことをしている」と言いったことを頻繁に言いふらしたわけです。
そこで私は、これ以上私が「青春を返せ裁判」に関わると裁判全体にとってマイナスになると判断し、原告らの代理人を辞任することにしました。オウム騒動の前でしたので1994年のことです。
辞任すると同時に、原告全員に宮村氏のことを糾弾する内容の文章を送りました。このとき私を支持してくれた何人かの原告らは、宮村氏のやり方に抗議して訴えを取り下げ、共に裁判から撤退しました。担当していたT君やNさんを含め約10人はいたように記憶しています。
裁判の途中で、訴えを取り下げた原告は17人にのぼります。
伊藤弁護士: 先にもは話したように、「伊藤弁護士を弁護団から外してもらわないと、自分たちはやめる」と言って、実際にやめた人もいます。また、私とは関係なく、宮村氏と衝突して裁判から離れた人もいたはずです。