日本国内で起きた拉致監禁拷問事件について考える(10)。想像を絶する残虐行為、拉致監禁はなぜ野放しにされてきたのか?「人権」は政治・思想・宗教の違いを超えて人間に付与された「普遍的価値」であります。
「鳥取教会襲撃事件」は2000年(平成12年)4月20日、当時、自民党衆議院議員であった桧田仁(ひのきだひとし)氏によって衆院決算行政監視委員会で取り上げられ質疑された重大人権事案です。
神戸地裁で行われた高澤牧師裁判(「鳥取教会襲撃事件)」の尋問調書から拉致監禁の動機と手口について調べてみました。
A: 1996年(平成8年)1月23日付の第一回尋問調書
B: 1996年(平成8年)3月26日付の第二回尋問調書
C: 1996年(平成8年)5月21日付の第三回尋問調書
D: 1996年(平成8年)7月9日付の第四回尋問調書
⑨監禁中に改宗を強要
信者を監禁しても、高澤牧師との対話に応じなければ、信者を改宗させるのは困難です。監禁から脱出した信者の中には、高澤牧師が監禁場所で包丁を持ち出し、対話を強要してきたと証言する者が複数います。家庭連合側弁護士が、こうした信者の陳述書を引用しつつ尋問すると、高澤牧師は、話し合いに応じようとしない信者に対し、包丁を持ち出して、話し合いに応じるよう迫っていた事実を認めました(Dー14頁117行〜25頁12行)。以下は、ある信者の陳述書の一部です。
初めて高澤牧師が私のところに来たとき、「お母さん包丁をか貸してください」と言って、母から借りた包丁を私の目の前に置き、「君は原理が真理だと思うなら私を殺してから行きなさい。君たちも命がけでやっているなら、僕たちも命がけだ。さあどうだ」
高澤牧師は、この陳述が事実であることを認めています(Dー18頁1行〜19頁1行)。高澤牧師の証言によれば、この女性信者は監禁されて5ヶ月間、一言もじゃべらなかったために、「私を殺してから行くくらいの勇気があるんだったら、それをしなさい。そうでないんだったら、話し合いましょう」という意味で、包丁を目の前に示したと証言しています(Dー16頁10行〜17頁)。以下も、先の陳述書の一部です。
「包丁を使うのはこれが最後だ」と言って、先回母から借りた包丁より大きい包丁を自分で買ってきて、それを私の目の前に置き、「君たちも真剣なら僕も真剣だ。命がけの決意で来た。私はイエス様を信じているからこの命も惜しくない。君の態度が変わらないなら、僕にも考えがある。しばらくはここに来るけれど、君の態度いかんによっては、神戸に移ってもらおうと思っている」と口を開かない私に対して包丁を使って脅しながら言いました。
この部分についても、高澤牧師は認めました。ただし「私の方を刺して行きなさい」ということで「脅した」わけではないと主張しています(Dー19頁2行〜20頁1行)。
5ヶ月間も監禁された女性が、絶対に外に逃げられない状況で、目の前に包丁を出されたら、恐怖を感じるのは当然です。高澤牧師は、監禁された信者が恐怖心を抱くのを十分承知していたはずです。しかもその目的は、高澤牧師との対話に応じさせることにあります。この行為は、脅迫を手段とした強要です。「君は原理が真理だと思うなら私を殺してから行きなさい」という発言は、「私を殺さない限りあなたはここから出られない」ということにほかなりません。また「君たちも命がけでやっているなら僕たちも命がけだ。さあどうだ」という言動も、「私はあなたを命がけで監禁している」ということを意味しています。このような発言を受ければ、信者は高澤牧師の言いなりになる以外、監禁場所から出ることができないという絶望感に陥ります。岡本圭二君のように命がけで脱出を試みようとする信者が出てくるのも当然なのです。