『大阪「東西軸」を復権へ、京阪電鉄の戦略とは』、8カンテレの報道より。
8カンテレの報道によりますと。
京阪HDは2026年度までの長期経営戦略を5月9日に公表し、その中で「大阪東西軸の復権」という壮大なプロジェクトを発表したということです。この「東西軸の復権」で一番のカギを握るのが京阪中之島線の延伸だという。天満橋から中之島までの3キロを繋ぐ中之島線は2008年に開業し、当初は「1日7万人」の利用客を見込んでいたが、実際は3万人弱にとどまっているという。
京阪HDの加藤好文社長は「カジノを含むIR=統合型リゾートが大阪の夢洲に2023年にも開業すれば、大阪メトロ中央線がコスモスクエアからIRまで延伸されます。京阪はその場合、IRの利用客を取り込むため中之島線を九条駅まで伸ばすことに決めました」という。さらに「中央線九条にまず行くのが我々としての責任。JRさんがIRまで延伸して行くなら、それにどう繋げるのかを我々は考えればいい」と述べ、九条からJRの西九条まで延伸する意向も示されたということです。
カンテレは、一方で延伸には500億円以上かかる見込みで、吉と出るかどうかは今後の流れ次第だと締めくくっていました。
「大阪東西軸の復権」という壮大なプロジェクトを長期経営戦略と定め、東西軸の整備に注目されたのはまさに慧眼。東西軸の整備は大阪をさらに大きく飛躍させることでしょう。橋下徹氏も知事の時代に東西軸に着目されましたが、その試みは議会の反対で実現できませんでした。
昔の地図では東西は縦軸で表記されていました。東西が基軸という意味だと思います。今の地図で南の位置に大阪港、北の位置に大阪さらに京都が描かれていました。大阪港が大阪そして京都に至る海の玄関口であったからであります。その海の玄関口は江戸時代には此花区の伝法港、明治の初めには西区の安治川河口の川口地区に、明治後期になって現在の港区の天保山(着工は明治30年)に港が築かれました。鉄道では此花区の安治川口から大阪を結ぶ西成線(桜島線、今はゆめ咲線と言っています)は明治31年に建設され、「東洋のマンチェスター」とか「大大阪」といわれる大阪の繁栄に貢献してきました。今後夢洲での万博や統合型リゾートの計画が実現していけば、東西軸の再整備は大阪・関西の繁栄に不可欠なものとなります。