「自社社員の過労死を隠蔽したテレビ朝日」と断言できます。

テレビ朝日社員の過労死報道で分かったことを整理すると。

2014年(平成26年)5月、B氏(テレビ朝日社員)の長時間労働でテレビ朝日は労働基準監督署から是正勧告を受ける。

2014年(平成26年)7月、出張中にA氏(50代男性、プロデユーサー)、ホテルで狭心症を発症。病院に搬送され、低酸素状態による脳障害が残ると診断された。

2015年(平成27年)2月、A氏、心不全で死亡。

2015年(平成27年)10月、死亡したA氏の過労死が労働基準監督署によって認定される。

2016年(平成28年)7月、C氏(テレビ朝日社員)の長時間労働でテレビ朝日は労働基準監督署から是正勧告を受ける。

2017年(平成29年)1月、D氏(派遣社員)の長時間労働でテレビ朝日は労働基準監督署から是正勧告を受ける。

以上の報道された事実から見て、長時間労働は当時のテレビ朝日社内でまん延していたことが分かります。A氏の過労死前、A氏の過労死認定後も社員に長時間労働をさせていたことが分かります。悪質ですね。事実が表面化し報道されたのは2018年(平成30年)になってからです。このような事実関係から見ると、この間テレビ朝日は社員の過労死、労働基準監督署の過労死認定、長時間労働問題の労働監督署からの是正勧告、これらの事件を隠蔽していたということになります。悪質ですね。これは犯罪とでも言えるのではないでしょうか。働き方改革について今後どのように報道するのでしょうかね。

電通の過労死問題についてはテレビ朝日は連日のように批判報道をしていました。しかし自社の社員の過労死は報道しないで隠蔽する。隠蔽するテレビ朝日。しかし他社の過労死問題については大きく報道する。まるでテレビ朝日経営陣には法律は適用されないとでもいうのでしょうか。またNHKをはじめ他のマスコミは分かっていながら報道しなかった。同じ報道人ですから分からないはずがありません。絶対にありえません。それなのに今知ったことだと開き直る。これはとても悪質で言論人として許されることではありません。

「2018年5月16日に死亡したA氏が労災認定を受けていたことをを確認した」(産経新聞)。「2018年5月18日に、3回の是正勧告を受けた、という事実を朝日新聞の取材に対してテレビ朝日が明らかにした」(朝日新聞)との主張は、開き直りとしか言えませんね。同じ言論人の過労死を今まで知らなかったとは笑止千万です。テレビ朝日に対して全く批判的報道がないことがそのことを証明しています。

ちょっとテレビ朝日経営陣のコメントを紹介しましょう。

「当社社員が過労死認定されたことは極めて重く受け止めております。働き方改革をより一層進めてまいります」(産経新聞報道)

「当社社員が亡くなり過労死認定されたことについて極めて重く受け止めています」(NHK報道)

「社員の命と健康を守るための対策をより一層進めてまいります」(朝日新聞報道)

今まで隠蔽していながら、しらけるばかりですね。

 

 

 

『大阪「東西軸」を復権へ、京阪電鉄の戦略とは』、8カンテレの報道より。

8カンテレの報道によりますと。

京阪HDは2026年度までの長期経営戦略を5月9日に公表し、その中で「大阪東西軸の復権」という壮大なプロジェクトを発表したということです。この「東西軸の復権」で一番のカギを握るのが京阪中之島線の延伸だという。天満橋から中之島までの3キロを繋ぐ中之島線は2008年に開業し、当初は「1日7万人」の利用客を見込んでいたが、実際は3万人弱にとどまっているという。

京阪HDの加藤好文社長は「カジノを含むIR=統合型リゾートが大阪の夢洲に2023年にも開業すれば、大阪メトロ中央線がコスモスクエアからIRまで延伸されます。京阪はその場合、IRの利用客を取り込むため中之島線を九条駅まで伸ばすことに決めました」という。さらに「中央線九条にまず行くのが我々としての責任。JRさんがIRまで延伸して行くなら、それにどう繋げるのかを我々は考えればいい」と述べ、九条からJRの西九条まで延伸する意向も示されたということです。

カンテレは、一方で延伸には500億円以上かかる見込みで、吉と出るかどうかは今後の流れ次第だと締めくくっていました。

「大阪東西軸の復権」という壮大なプロジェクトを長期経営戦略と定め、東西軸の整備に注目されたのはまさに慧眼。東西軸の整備は大阪をさらに大きく飛躍させることでしょう。橋下徹氏も知事の時代に東西軸に着目されましたが、その試みは議会の反対で実現できませんでした。

昔の地図では東西は縦軸で表記されていました。東西が基軸という意味だと思います。今の地図で南の位置に大阪港、北の位置に大阪さらに京都が描かれていました。大阪港が大阪そして京都に至る海の玄関口であったからであります。その海の玄関口は江戸時代には此花区の伝法港、明治の初めには西区の安治川河口の川口地区に、明治後期になって現在の港区の天保山(着工は明治30年)に港が築かれました。鉄道では此花区の安治川口から大阪を結ぶ西成線(桜島線、今はゆめ咲線と言っています)は明治31年に建設され、「東洋のマンチェスター」とか「大大阪」といわれる大阪の繁栄に貢献してきました。今後夢洲での万博や統合型リゾートの計画が実現していけば、東西軸の再整備は大阪・関西の繁栄に不可欠なものとなります。

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