大阪の都市制度改革の必要性について考える(44)。自民党の反対理由について考える。

平成26年10月市会本会議での質疑より。

『自民党』

・「特別区が設置されることによって、関係市町村の住民には住民サービスの提供のあり方という大きな影響をうける。また、指定都市廃止に対して権限や税財源の面でいわば格下げとも言える事態が生じて、通常の市町村合併以上に住民の生活等に大きな影響がある」「大阪市民は損をする」

・「市長は、協議では何も決まらない、二重行政解消のためには指揮官を一人にする必要があるとかたくなに主張されております。市長がそのかたくなな態度を改め、議会と真摯に向き合い、議論を進めれば、十分に協議をまとめることは可能であります。特別区に移行することだけがその唯一の解決手段ではありません。無理やり特別区に移行されるよりも、大阪会議では素早い対応が可能ですし、大阪の為にも大阪会議を設置し、ともに議論を始めたいと考えますが、市長の見解をお伺いします」

《橋下市長》

・「不利益に確実になる案であれば我々も提案しません」「今回の大阪都構想の協定書は大阪市民の利益になる案として僕はつくりあげましたので、損になっていることは全くありません」

・「本来、住民自治の規模で考えたら、全国で1700ある自治体のうち85%が10万人未満なわけですよ。そしたら、今の24区という視点から見れば、今の区役所は何の権限もないし、財源もないわけです。だから、今のこの区役所、大阪市の出先機関である区役所をもっと拡充していこうというのが、この大阪都構想のもともとの考え方なわけですから、財源についても、今、大阪市が持っている財源、減るわけでもありませんので、住民サービスに使う分はきちっと確保した上で、そして各区間の格差というものをきちんとルールに基づいて透明性のある形で是正をしていく。そして、選挙で選ばれた長が大阪市内に複数人誕生することによって、きちんと大阪市内、地域の実情に応じた決定をする。これがニア・イズ・ベターですよ」(平成25年11月市会本会議)

・「協議をして解決ができるんじゃないかという議員のご指摘も、これもありがたいお話です。そうであれば、大阪都構想をせずに協議で解決できるというんであれば、まず港の一元化とか病院の統合、もっと言えば環境科学研究所と公衛研ですか、それから市立工研と産業技術総合研究所、もっと言えば大学の統合、・・・地下鉄の民営化問題も含めて全部これを解決した上で、ほら、大阪府庁、大阪市役所のままでも全部二重行政はなくなるじゃないのということを示した上で、今のままでも大丈夫だということを言っていただきたいので、ぜひ、府市統合本部に議員の皆さん入っていただいて、スピード感を持って決定できるということでありますから、年内に全てこれ議案解決していただいたら、大阪都構想については議員の考え方も踏まえて今後どういうスケジュール感でやっていくのか、また検討させていただきたいと思っています」

大阪の都市制度改革の必要性について考える(43)。自民党の民主主義観について。

まず、平成26年10月、市会本会議での自民党(自民党市会議員団を代表して)の発言です。

「先日の財政総務委員会の質疑の中で市長は、直接民主制がメーンである、特別区設置法で最後は住民投票で決めるということが定められているから、議会での議論は住民投票に向けたお手伝いであるなどとおっしゃっておられました。これは間接民主主義、議会制民主主義を根本から否定するものであり、政治家であり法律家である市長の発言とは到底思えません。直接民主制である国民投票や住民投票の制度の導入については、間接民主主義を補完する機能が期待されているのであって、直接民主主義を導入するから間接民主主義が不要ということにはなりません」。

「市長ありがとうございます。民主主義についての考え方が若干違うようでありますけれども、当然、私も直接民主主義を否定するものではありません。直接民主主義、例えば古代のギリシャの都市国家のアテネや第一次世界大戦後のドイツ、あの例を見ればわかるように、直接民主制の怖さというものもあります。非常に言葉巧みな扇動者の詭弁で誤った意思決定をした、そういう事例があります。衆愚政治をいかに防ぐのかというものも間接民主主義、我々に課せられた責任だと思います。複雑な政治課題を調査に専念してしっかりとした答えを出す、それも間接民主主義の仕事であります。人類の知恵として間接民主主義が生まれました。これを否定している者は民主主義を危うくするものだと思います。市長にお伺いしますけれども、やはり私は、最後は住民投票で決めるのではなくて議会が決める責任があると、このように思っております。府議会、市会がイエスと判断したときのみに住民投票が行われます。ノーの判断の場合は住民投票はありません。よって、この協定書を判断するのは議会であると考えますが、いかがでしょうか」。

以下、橋下市長の民主主義観(議会答弁より)。

「ぜひ、今のような考え方についても住民投票をしませんか。大阪都構想の是非の前に、これは議会で最終決定権を持つものなのか、やっぱり住民投票で決めていくべきなのかを先にプロセスとして、そういう形で住民の皆さんに聞いて、議会で決定して欲しいということであれば、もうそれは僕もそうかなというふうに思います。ただ、僕の感覚では、この問題については住民の皆さん、反対者も含めて住民投票で自分たちの意思で決めさせて欲しいという思いが僕は強いと思ってます」。

「ですから、これはあくまでも直接民主制が原則であり、僕は、直接民主制が議会制民主主義を補完する機能だなんていうのは、これは有権者に対して大変失礼な発言だと思っています。直接民主制が原則であって、それが技術的に困難だからか間接民主制で補っているというところが僕の理解する民主主義でありまして、ここはもう全く議員と民主主義の捉え方が違うのかなと思っています。繰り返しになりますけども、議会制民主主義はあくまでも直接民主制の補完です。本来であれば特定案件について一人一人の有権者の賛否を問うていくのが本来の民主主義ですけども、やはりそういうことは技術的に困難、費用的にも困難であるがゆえに、議会制民主主義、代表制というものをとっているのが今の現状だという理解からすれば、直接民主主義の形態である住民投票というものが定められている大阪都構想に、大都市法ですか、特別区設置法においては、やはりこれは住民の意思でしっかり決めるというところを議員の皆さんは認識していただかなければいけないと思っています。議会がノーと判断するということは、僕はちょっとよくわかりません。議会の承認というものはあくまでも住民投票に付すための環境整備のものだと思っていますので、ノーはあり得ないと思っています」。

以上自民と橋下氏のやりとりを一部見てきました(詳しくは議会議事録をお読みください)。自民党の民主主義観というのは、直接民主主義は衆愚政治につながるので、人類の知恵として間接民主主義である代議制というものが誕生したという。だから全て議会(市議会や府議会)で決めるという。直接民主主義である住民投票を行うにしても、議会で議決した事についてだけに限定されるという。果たして民主主義とはそうなのか、違和感を感じます。間接民主主義を補完するのが直接民主主義だという自民党の意見には橋下氏と同じく私も賛成できません。間接民主主義とは議会制民主主義を意味する事だと思いますが、この議会を構成する議員は市民・国民から選ばれた代議員であります。主権は市民、国民にあることは明白であり、日本憲法にも国民主権が明確に謳われています。もし少人数による賢人政治が理想ということを意味するのであれば、これは共産主義国家の共産党独裁政治理論、前衛論に通じる恐ろしさを感じます。

自民党は、市長とは「民主主義観が違う」といいますが、どちらの民主主義観が民主主義的であるか、皆さんはどう思われるでしょうか。

自民党のこのような民主主義に対する見解は、平成27年5月の住民投票の前に示され、議会でも主張してきました。しかし、住民投票が終わった後の主張は変化しました。「住民投票とは、主権者たる有権者の直接の投票で判断されるもの、『究極の民主主義』によって示されたものである。それにもかかわらず、その後、数ヶ月後に実施された市長選挙で、・・・・再挑戦することが当然であるかのような主張ができるということは、民主主義を弄ぶものであり、民主主義の危機である」と維新批判を展開しています。この文章は平成29年5月議会に自民党が提案した意見書の中に記載されています。

住民投票前は、直接民主主義は衆愚政治に陥る危険性があるとして住民投票に反対し、直接民主主義(住民投票)は間接民主主義(大阪市議会・大阪府議会)を補完するものでしかないとの主張を展開しました。しかし住民投票で都構想が否決されると、見解を180度転換して、住民投票は『究極の民主主義』であるから、一度民意が示されたのだから、市長選挙で勝ったとしても、再挑戦は許されない、民主主義を弄ぶもの、民主主義の危機であるとして、維新批判、都構想再挑戦批判を展開しています。

住民投票前は住民投票は間接民主主義である議会制民主主義を『補完』するものという主張をし、住民投票後は住民投票は『究極の民主主義』だと主張を変更しています。民主主義を弄んでいるのはどちらなのでしょうか。