大阪の都市制度改革の必要性について考える(46)。大都市法廃止を企てる自民党。
なぜ、自民党は大阪市民の選ぶ権利を否定し、現状を固定化しようとするのでしょうか。
自民党は5月議会に「大都市地域における特別区の設置に関する法律の廃止を求める意見書」を提出しました。この大都市地域における特別区の設置に関する法律(いわゆる大都市法)は、国会において自民党、公明党、民主党の賛成多数で可決成立したものであります。しかるに、自民党の大阪市議団はこの法律の廃止を国に求める意見書を議会に提案しました。この大都市法という法律があればこそ大阪市民は都構想の是非を住民投票で決めることができます。大阪の未来は大阪市民・府民が決める、当然の事でありますが、この権利の根拠となっている法律(大都市法)を廃止せよと自民党は議会で主張しています。
なぜ、自民党は大阪市民から「決める権利」を奪うため、大都市法の廃止を求めるのでしょうか。その理由について自民党市議団は「そもそも大都市法による住民投票は法的拘束力のあるものであることから、一度可決されれば後戻りできないにもかかわらず、否決された場合は、可決されるまでは何度でも議案を提案できるということ自体、法の趣旨から大きく逸脱するものであり、大都市法の根本的かつ重大な欠陥である」と、理解不能の主張を展開しています。自民党は住民投票は『究極の民主主義』であると認めていたと理解していますが、この究極の民主主義である住民投票、この権利を行使するのは一度だけで二度は許さない、そのために根拠になる法律を廃止すると自民党市議団は言っています。なんという傲慢さでしょうか。この傲慢さから「住民投票(直接民主主義)は間接民主主義の補完に過ぎない」という自民党の主張が出てくるのも頷けます。住民投票での「決める権利」は 一度しか許さないという、この傲慢さはどこから来るのでしょうか?なぜ自民党は市民から「決める権利」を奪おうとするのでしょうか?大都市法を廃止しようとする動きの背後に、自分たちが市民より優位にいるという傲慢さを感じるのは私だけではないと思います。都構想に再挑戦を掲げた先の大阪市長選挙、大阪府知事選挙で維新は勝利し、反対派は敗北するという形で民意が示されました。未来の選択権を市民から奪い、現状を永遠に固定化しようとする試みは、言うまでもなく誰からも理解されるものではありません。事実、自民党の同意見書は市議会で否決されました。市民から未来を選択する権利を奪ってまでも現状維持を固定化しようとする自民党の真の目的とは何なんでしょうか?