国内での拉致監禁拷問事件について考える(5)。「人権」は政治・思想・宗教の違いを超えて人間に付与された「普遍的価値」であります。
高澤牧師裁判(「鳥取教会襲撃事件」)の尋問調書から拉致監禁の動機と手口について調べてみました。
A: 1996 年(平成8年)1月23日付の第1回尋問調書
B: 1996年(平成8年)3月26付の第2回尋問調書
C: 1996年(平成8年)5月21日付の第3回尋問調書
D: 1996年(平成8年)7月9日付の第4回尋問調書
①、相談に来た、家庭連合信者の親に対する指導
家庭連合信者の親が、高澤牧師に相談しに来た場合、どのような指導を行うのかについて、高澤牧師は次のように証言しています。
まず、家庭連合が「社会悪」であることを話し、信者が「マインドコントロール」されていることを、親との間で確認しあっていくといいます(Bー49頁7行〜51頁8行)。
その際、家庭連合問題は「家庭問題」「親子問題」という側面が強いため、子供が家庭連合に通うようになった心理状況を把握してもらうための「ガイダンス」や「教育」を心がけているといいます(Aー59頁6行〜60頁8行)。
そして、親に対し、信者を一定の場所に拘束しなければ脱会させる方法はないと話すのです(Dー28頁12行、29頁、30頁13行)。
もし、我が子が通っている教会が「社会悪」であり、その協会によって「マインドコントロール」されているとするなら、我が子を心配しない親はいないでしょう。しかも、その問題が子供の問題ではなく、「家庭問題」「親子問題」だと牧師から言われれば、親としては責任を感じざるを得なくなります。まさに、子を思う親心を巧みに操って、子を拉致監禁させるよう、親をそそのかしているのです。
さらに高澤牧師は、改宗説得が失敗する原因の一つとして、監禁中に信者の親が信者を解放するケースを挙げています。その親が、親子の情愛から我が子を解放してしまうのは、高澤牧師の「オリエンテーションの責任」であると証言しています(Aー19頁137行〜20頁5行、Cー30頁2行〜3行)。
そして、「オリエンテーションの責任」とは、家庭連合の怖さを信者の親に十分教えることであると答えているのです(Cー28頁10行〜30頁3行)。
すなわちこれは、親に家庭連合の怖さを十分に知ってもらい、子が改宗するまで絶対解放しないよう、親を教育しなければならないという意味なのです。
このような教育によって、「脱会するまで解放してはいけない」とあえて言わなくても、親の方がそういう判断力を持つようになると語っています(Cー31頁3〜7行)。
高澤牧師は、親に対する「教育」過程で、信者を拉致監禁するようそそのかすため、「子供は命がけで信仰しているのだから、救出するために親も命がけで」取り組まなければならないと指導します(Cー69頁5〜7行)。
その結果、信者の親は仕事を辞め(Cー69頁8〜11行)、
同居している老人を老人ホームに入れてまで(Cー72頁2〜8行)
子供の拉致監禁を実行するようになります。
高澤牧師のこのような働きかけによって、信者の親がいかに異常な心理状態に陥ってしまうかは、高澤牧師の証言によって明らかになっています。原告の母親が、子である信者をマンションに監禁した後、もし娘が再度逃げるのであれば「犯罪者」を野放しすることになるので、娘を殺して自分も死のうと思い、いつも包丁をさらしに巻いて話し合いに臨んだと証言しているのです。(Dー23頁127〜24頁13行)