国内での拉致監禁拷問事件について考える(4)。「人権」は政治・思想・宗教の違いを超えて人間に付与された「普遍的価値」であります。

高澤牧師裁判(「鳥取教会襲撃事件」)の尋問調書から見える拉致監禁の動機と手口について調べてみました。

A : 1996年(平成8年)1月23日付の第1回尋問調書  

B : 1996年(平成8年)3月26日付の第2回尋問調書  

C : 1996年(平成8年)5月21日付の第3回尋問調書

 D : 1996年(平成8年)7月9日付の第4回尋問調書

【高澤牧師の経歴】

高澤守牧師は1942年新潟県で生まれました。1965年に洗礼を受け、1972年に神戸聖書学院に入学。1979年に牧師資格を取得し、1981年、単立・キリスト教神戸真教会に赴任して、現在(1996年)に至っています。(Aー1頁〜4頁)

高澤牧師は、1972年の神学生時代、八王子で開拓伝道をしている時に、家庭連合信者の改宗を行ったと言います。(Aー11頁〜13頁)

その時は任意の話し合いで脱会させて、監禁はなかったとのことです。(Cー3頁)

彼は神戸真教会に赴任してからも改宗活動に関わり(Aー4頁)、

1986年頃から信者を監禁して脱会説得を行なってきました。(Cー21頁11行〜22頁5行)

1996年までに約200名を脱会させ(Aー15頁)

脱会説得に失敗したのは20名程度といいます(Aー16頁)

脱会させた信者のうち、6割から7割ぐらいがクリスチャンになり(Aー21頁3行〜5行)、

自分の教会信者の130名のうち、約半数が家庭連合の元信者だと語っています。(Cー33頁13行〜34頁4行)

なお、約200名を脱会させたというのは1996年の時点での証言ですが、2009年に高澤牧師は、「これまで約800人を脱会させた」と語っています。