日韓問題について考える(33)。「慰安婦問題」の真実。韓国の識者はどのように考えているのだろうか。

慰安婦の人数について 、これは大阪市と米サンフランシスコ市との姉妹都市解消にもつながった問題です。歴史的に定かでないにもかかわらず、サンフランシスコ市の碑文には「20万人」と記されています。これが大問題となりました。大阪市民の一人としても大いに関心を持つ命題であります。

李栄薫氏は『反日種族主義』という本の『我々の中の慰安婦』で次のように述べています。

何れにしても、大体、私は3500人程度が合理的であると思います。しかし、この程度の数値を、いくら考えても5000人を超えないはずの人数を、今まで3万人、あるいは20万人と主張してきたのは、あまりにも甚だしい誇張であったと思います。しかも、そういう数値は、教科書でも使われていました。今は20万人という説は、教科書からは消えたものの、なお、そのような数値が未だに主張されています。私は、これは非常に大きい問題だと思います」

「韓国女性運動指導者の一人と個人的に討論をしたことがありますが、その人が慰安婦20万人説を言ったので、私は『悪いけど、そのような話は根拠がないから、しないほうが良いと思います』と、丁寧に説明しました。しかし、その人は、聞こうともしないし、結局は、怒り出して席を蹴って出て行ってしまいました。その、どうしょうもない頑固な先入観が今まで、日本軍慰安婦問題の解決を難しくしてきたと思います」

李栄薫氏は『我々の中の慰安婦』の中で韓国政府作成の【保健社会統計年鑑】を引用して、韓国における慰安婦数の推移を掲載しています。これによりますと1955年は6万1833人、1959年になると9万8891人、そして日韓条約が締結されて間もない1966年では25万0964人となっています。

李氏は「歴史を詳しく調べてみると、軍慰安婦はずっと存在していたことが分かります。慰安婦という呼び方がなかっただけです。大きく見て、15世紀以来の朝鮮王朝時代からありました。また、1945年に日帝が敗れ韓半島から撤退した後でも、慰安婦は、我が社会の中でずっと存在していましました。繁盛したと言ってもいいでしょう」。

李氏によれば大韓民国独立後も、韓国軍慰安婦、民間慰安婦、米軍慰安婦など多数の慰安婦がいたということです。上記保険社会統計年鑑の数値がそれを示しています。

「しかし既存の研究は、その長い歴史の中で1937年〜45年の歴史だけを切り離し、日本軍の戦争犯罪だと責めています。そのため、史実に関する客観的理解に大きな問題が生じたのです」と述べています。

 

 

 

この言葉を胸に刻み込んでいきたい。

 《平井文夫の言わねばならぬ》より

「『バイキング』の中で東国原・宮崎県知事が『(拉致)に結果的に進展はなく、政府の責任は極めて重い』と発言した時に、『拉致問題が進展しないことを安倍さんのせいにするのはおかしい』と思ったが、たしかに進展はしておらず、いまだ帰ってこない肉親を待ち続ける家族の方々にはそういう気持ちがあるのだろうなと思い黙っていた。僕もこの拉致問題を30年ほどだが追いかけているので少しモヤモヤしていたら昨日、めぐみさんの弟の横田哲也さんの記者会見を聞いて驚いた。哲也さんは、

問題なのは『安倍政権』ではなく、『40年間何もしてこなかった政治家や、北朝鮮は拉致などしていないと言い続けたメディアである』と指摘した上で、『何もやっていない人が政権批判をするのは卑怯だ』

と非常に厳しい言葉で政治家やメディアを批判した。横田滋さんは本当に立派な人だった。めぐみさんの娘ウンギョンさんが『おじいさんとおばあさんに会いたいから平壌に来て』と言った時も、拉致の交渉が北朝鮮ペースになることを嫌って訪朝しなかった。孫に会いたいという感情より拉致問題全体の解決を優先する人だった。哲也さんたちもそんな両親の背中を見て育ったのだろう。我々がすべきことは気楽な立場で政権を批判するのではなく、自分の娘が、あるいは兄弟が北朝鮮に拉致されたら、とまず想像してみることだろう。そして今は天国にいる横田さんの思いをかなえるためにも、我々はいかなる手段を使ってでも拉致被害者の奪還を最優先しなければならないと思うのだ」。 (フジテレビ 解説委員 平井文夫)