大阪都構想の必要性について考える(56)。安倍首相は昨年末、少子高齢化を「国難」と位置づけた。

産経新聞は1月4日、今年最初の主張欄で、「出生数の急減、危機的状況との認識を、コンパクト社会へ移行急げ」と題する主張を掲載しました。

「人口減少幅は40万人台へと突入し、やがて年に100万人近く減る時代が訪れる。足りない労働力を外国人労働者で穴埋めしようとするのは、非現実的となる。勤労世代が少なくなっても社会を機能させるには、『コンパクトな社会』に移行する視点が欠かせない」。

「当面、出生数の激減が続くことを受け入れざるを得まい。それを前提として、社会を作り替えるぐらいの構想力が求められる。それには、日本の総力を挙げて立ち向かう必要がある。首相に強いリーダーシップを求めたい」。

「人口が減っても発展し、豊かな暮らしを維持できる。首相は具体的なプランを語って欲しい」と主張を展開しています。

『コンパクト社会』への取り組みはすでに全国の自治体で始まっています。しかしそれを実現していくには、住民の理解を得ることが不可欠であります。産経が主張されるように「人口が減っても発展し、豊かな暮らしを維持できる具体的なプラン」を実現するには「社会を作り替えるぐらいの構想力」と、かつ「総力を挙げて」立ち向かっていかなければなりません。全国の自治体ではすでに、必死になって取り組みを始めております。しかしそれはかなりの変革をともないます。コンパクト社会への移行となりますと、居住地域の変更や制限も伴ってきます。町を小さくすることは地域社会にとって大変革であり 、様々な課題も生じてきます。したがって住民の皆さんの理解なくして実行することはできません。大阪では少子高齢化・人口減少社会に対応すべく、少子・高齢化対策のみならず大阪府と大阪市の行政のあり方自体を変革していくという新しい都市制度(大阪都構想)を提案し、プランも作成し、次の時代の負託に応えようと努力しております。

そこで、もし産経を含め各マスメディアも安倍首相と同じく「国難」という共通認識に立っているのであれば、国や行政の取り組み、プランについて、大阪都構想についても、その意義も含めて分かりやすく住民の皆さんに伝えていただくことをお願いしたいと思います。住民の理解を得るという観点から見ればマスメディアにも当然リーダーシップが求められます。マスメディアとしても当事者意識が必要ではないでしょうか。政治、行政、マスメデイアが一体となってこそ、少子高齢化という「国難」を乗り越えていくことができるのではないでしょうか。

大阪都構想の必要性について考える(55)。大阪市が考えたスーパー指定都市とは?

大阪府で『大阪新都構想』について激しく議論が交わされていた平成15年ごろの大阪市はどのような状況だったのでしょうか。

このころの大阪市について考えるとき、大阪市が取り組んできたオリンピック招致問題から振り返る必要があります。当時の西尾正也大阪市長(昭和62年〜平成7年)が平成20年(2008)のオリンピック大阪招致に取り組むと明言したのが平成4年、大阪市議会でオリンピック招致決議がなされたのは平成6年です。西尾市長の後継者となった磯村隆文市長(平成7年〜平成15年)はオリンピック招致に東奔西走しましたが、平成13年(2001)に行われたIOC総会での投票の結果、第一回目の投票で落選し招致に失敗しました。翌年の平成14年11月、磯村市長は大阪市の財政は最悪の状態にあるとして財政非常事態を宣言しました。磯村氏は任期満了で市長を退き、当時助役であった関淳一氏に大阪市の再建を委ねることになりました。関氏は市長(平成15年12月〜平成19年12月)に就任するや、ただちに公務員改革・市政改革に取り組みましたが、それは大阪市の財政破綻が真剣に考えられ始めた時でもありました。平成17年には「大阪破産」(吉富有治、光文社)という本が出版されました。

かかる時期に関市長が打ち出した新しい大都市制度が『スーパー指定都市構想』でありました。政令指定都市である大阪市が財政的に限界に直面し、大阪市が新しい大都市制度を模索したこの時期は、大阪府でも太田房江知事が掲げる『大阪新都構』について大阪府議会で活発に議論されたときでもありました。

平成19年の市長選挙では、市営交通の民営化など大胆な市政改革を掲げた関氏は労働組合推薦の平松邦夫氏に敗れます。以後改革は停滞し、大阪市の財政破綻はもはや現実か、というところまできました。

平成23年の市長選挙では、橋下徹大阪府知事が『府市の再編』を掲げ大阪市長選に挑戦します。大阪府知事に松井一郎氏、大阪市長に橋下徹氏が就任し、府・市の連携による大改革のスタートがきられました。平成25年10月に出版された「大阪破産からの再生」(吉富有治、講談社)という本では、「そして登場した橋下徹によって大阪市の組織と公務員の改革は急激に進み、少なくとも財政に関しては破綻の危機から脱出できたのは確かである」と記述しています。

平成27年からは吉村洋文市長によって橋下改革の灯が引き継がれるとともに、改革は果実を生み出し、今や大阪市政は着実に前進しています。

このような大阪市政の流れの中で、関淳一市長の時代に打ち出された大都市制度である『スーパー指定都市構想』とはどのようなものだったのでしょうか。またこのときに議論された『政令指定都市の課題・限界』についても考えていきたいと思います。

《西尾正也市長(昭和62年〜平成7年)、磯村隆文(平成7年〜平成15年)、関淳一市長(平成15年〜平成19年)、平松邦夫市長(平成19年〜平成23年) 、橋下徹市長(平成23年〜平成27年)、吉村洋文市長(平成27年〜)》