今、注目の共産党について考える(41)『大いなる失敗』より(2)
(続き)「(5)大量の強制移住による死亡:農業の集団化推進のためにこのような政策がとられ、その結果ソ連、東欧、中国で大規模な飢餓、伝染病その他の混乱が起きた。とくに大躍進政策の時代、地主追放運動と人民公社の設立が行われた中国で、この現象が著しかった。またソ連でも、嫌疑をかけられた非ロシア系住民が強制移住させられたことを忘れてはならない。ラトビア人、リトアニア人、エストニア人をバルト三国から、ポーランド人をソ連の西部地域から、タタール人をクリミア半島から、さいはての地シベリアへと送り込んだ。最近のソ連の資料によると、犠牲者はソ連だけで700万人から1000万人と推定される。中国では2700万人にのぼるという者もいる。つまり、控えめに見ても合計3000万人という恐るべき数字になる。(6)粛清によって処刑され、または収容所で死んだ共産党員:ソ連では権力闘争に敗れて粛清された共産主義者が数多くいる。1936年から38年の間でその数は100万人を下らないと思っていいだろう。東欧では1940年代末から1950年代はじめにかけて、何万人もの共産主義者が殺されるか、投獄された。中国でもーーとくに文化大革命の際ーー数百万人が同様の運命に遭った。(7)長期間の監禁、強制労働による肉体的・心理的な損傷:ソ連では1950年代半ばの大赦によって、数百万人の人々が刑期満了前に釈放された。なかには、非常に過酷な状況のもとで20年も監禁された者がいた。同じような大赦は、東欧でも1956年のフルシチョフのスターリン批判後に、そして中国では文化大革命後の1970年代前半に行われた。(8)弾圧された人々の家族が受けた迫害:ソ連では右記の(1)から(6)までの項目に当てはまる人々の家族も、処罰の対象となった。迫害には、処刑から投獄、強制移住、住宅・就職の際の差別まで、いろいろな段階があった。(9)社会全体に広がる恐怖と孤独感:社会のすべての階層ーー労働者と貧農以外ーーが共産主義による強制的な社会改革の際に、党や政府機関からイデオロギー的な憎悪の対象にされた」。(続く)