今、注目の共産党について考える(42)『大いなる失敗』より(3)

(続き)「以上のような社会的な犠牲ーー少なくとも5000万人の死者を含むーーを見ても、共産主義が史上最悪の、途方もなくむだな社会改革の試みであったことがわかる」「共産主義の大いなる失敗は、一言でいえば、社会の有能な人々を葬り、創造的な政治活動を抑圧したことにある。実際に達成できた経済成長に比べ、あまりに高い人的犠牲を払った。そして国家の中央集権化が進みすぎたために、生産性もしだいに低下していった。共産党政権のメリットになるはずだった社会保障制度は過度の官僚制度のために徐々に質が低下していった。そしてドグマの支配は、社会の科学・芸術の発達を阻害した」(以上ズビクネフ・ブレジンスキー著作『大いなる失敗』より引用、翻訳は伊藤憲一氏)ということです。革命という大きな犠牲を払って誕生した共産党政権のもとで、生産手段の社会化という政策を進める過程で、共産党一党独裁を維持する過程で、また絶え間ない権力闘争の過程で、ブレジンスキー氏が指摘したように、理想社会どころか真逆の、地獄のような信じがたい大きな災禍が引き起こされました。理想社会を目指しながら、“大いなる失敗”に至ったのはなぜなのでしょうか?日本共産党はその綱領の中で旧ソ連について「生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない」と一言だけ言及しているのみで、“大いなる失敗”の実態報告もなければ、その起因についての分析もなく、なんの説明もされていません。ここに至ってもまだ、綱領で社会主義社会が「歴史の不可避的な発展方向である」と主張するならば、きちんと分析して明確に示すべきであります。また“大いなる失敗”を克服する処方箋についても、あるといいながら全く記載されていません。ただ「新たな挑戦と開拓の過程となる」と記すのみでは思考停止に陥っていると言われてもしかたがありません。ブレジンスキー氏は「さらにもっと基本的な問題は、共産主義の失敗の根底に、哲学上の原因があることだった。結局のところ、マルクス・レーニン主義は、基本的な将来の見通しと、人間本来の性質についての判断を誤ったのである。共産主義の決定的な失敗は、人間の知性を見誤ったことだった」と指摘しています。一番根底にある人間存在についての共産主義の誤った認識と、謙虚さを喪失した独善的傲慢性がこのような悲劇をもたらした、ということでしょう。暴力による革命を正当化するために、人間や歴史についての洞察を故意に歪めて創作したのが共産主義であります。虚偽と空想に満ちたものであり、従って実在としての人間とは共存できない理論であります。旧ソ連大統領のボリス・エリツインの言葉を借りれば「マルクスの理論など存在する余地がないことが証明された」ということです。

今、注目の共産党について考える(41)『大いなる失敗』より(2)

(続き)「(5)大量の強制移住による死亡:農業の集団化推進のためにこのような政策がとられ、その結果ソ連、東欧、中国で大規模な飢餓、伝染病その他の混乱が起きた。とくに大躍進政策の時代、地主追放運動と人民公社の設立が行われた中国で、この現象が著しかった。またソ連でも、嫌疑をかけられた非ロシア系住民が強制移住させられたことを忘れてはならない。ラトビア人、リトアニア人、エストニア人をバルト三国から、ポーランド人をソ連の西部地域から、タタール人をクリミア半島から、さいはての地シベリアへと送り込んだ。最近のソ連の資料によると、犠牲者はソ連だけで700万人から1000万人と推定される。中国では2700万人にのぼるという者もいる。つまり、控えめに見ても合計3000万人という恐るべき数字になる。(6)粛清によって処刑され、または収容所で死んだ共産党員:ソ連では権力闘争に敗れて粛清された共産主義者が数多くいる。1936年から38年の間でその数は100万人を下らないと思っていいだろう。東欧では1940年代末から1950年代はじめにかけて、何万人もの共産主義者が殺されるか、投獄された。中国でもーーとくに文化大革命の際ーー数百万人が同様の運命に遭った。(7)長期間の監禁、強制労働による肉体的・心理的な損傷:ソ連では1950年代半ばの大赦によって、数百万人の人々が刑期満了前に釈放された。なかには、非常に過酷な状況のもとで20年も監禁された者がいた。同じような大赦は、東欧でも1956年のフルシチョフのスターリン批判後に、そして中国では文化大革命後の1970年代前半に行われた。(8)弾圧された人々の家族が受けた迫害:ソ連では右記の(1)から(6)までの項目に当てはまる人々の家族も、処罰の対象となった。迫害には、処刑から投獄、強制移住、住宅・就職の際の差別まで、いろいろな段階があった。(9)社会全体に広がる恐怖と孤独感:社会のすべての階層ーー労働者と貧農以外ーーが共産主義による強制的な社会改革の際に、党や政府機関からイデオロギー的な憎悪の対象にされた」。(続く)