今、注目の共産党について考える(35)日本共産党解散の勧め

日本共産党の綱領に「これまでの世界では、資本主義時代の高度な経済的・社会的な達成を踏まえて、社会主義的変革に本格的に取り組んだ経験はなかった」。故に「日本における社会主義への道は、多くの新しい諸問題を、日本国民の英知と創意によって解決しながら進む新たな挑戦と開拓の過程となる」とあるだけで、「社会主義的変革」につい てどのような取り組みが行われるのかの説明は全くありません。ただ「英知を集めて」手探りで社会主義社会建設に進むしかないとしています。これでは“科学的社会主義”が泣くというものです。日本共産党のいう社会主義社会・共産主義社会も「生産手段の社会化」よって達成されるわけですから、ソビエト革命や中国革命と本質は変わらないように思いますが、どうなのでしょうか?また日本共産党がいう解決しなければならない「多くの新しい諸問題」とはどんな問題なのでしょうか?この「多くの新しい諸問題」が何であり、何故問題が生じるのか、どのようにして解決していくのか、その道筋をまず明確に示すのが、科学的といわれる取り組みではないでしょうか?社会主義社会への道筋が、先の見えない「開拓の道」であるとしか言えないならば、“科学的社会主義”という言葉は使えません。共産党が主張する社会主義は理想社会だから、「挑戦と開拓の道」を進もうというだけであるならば、ただ信じてください、ということに等しいと言わざるを得ません。そんな道に国民を巻き込むことはできません。もし、旧ソ連や中国のようにはならないと言うならば、「多くの新しい諸問題」を明示して、「多くの新しい諸問題」の解決方法を“科学的”に示す必要があります。英知を集めるので、ただ信じてください、共産党を信じてください、というだけでは“科学的”とは言えません。まさか「多くの新しい諸問題」の解決策は独裁と暴力である、ということではないでしょうね。

今、注目の共産党について考える(34)日本共産党解散の勧め

日本共産党は生産手段の社会化について、綱領の中に「社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である」と明記し、生産手段の社会化を来たる共産党政権の中心的命題と位置付けています。生産手段の社会化を達成しなければ、共産党が考える社会主義社会は成り立たないということです。しかしその生産手段の社会化はどのようにして達成されるのかについては「人類史の新しい未来をひらく歩みですから青写真はありません。国民が英知をもって挑戦する創造的な開拓の過程となるでしょう」というのみで具体性は全くありません。さらに生産手段の社会化を達成した後にくるという社会主義社会については、それがいかなる社会なのか、これも説明がありません。ただ「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」社会という抽象的表現のみであります。「我々の国は幸せではなかった。この国でマルクスの実験が開始されたが、結局のところ、マルクスの理論など存在する余地がないことが証明された」(1991年ボリス・エリツイン旧ソ連大統領)。これは兵本達吉氏の月刊誌記事より引用させていただきました。人間という存在を考えれば、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」共産主義社会というものは、追いかけても実現できない架空の社会でしかないということでしょう。存在し得ない架空の社会を無理やりに現実化しようとすれば、それは地獄の社会へと変質していきます。生産手段の社会化によって、「能力に応じて働き、労働において受け取る」という、共産党一党独裁のもとでの社会主義社会こそが地獄への入り口なのです。一旦この地獄に入ると自力では脱出できません。従って社会主義社会の次にくるという「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」共産主義社会の建設は永遠に不可能であります。実在しない、実在し得ない架空の社会だから、その社会がどんなところかも説明できず、道筋も示せないのは当然であります。「社会主義などといっても、当の共産党自体がイメージを描けていないんです」というのは元日本共産党幹部の筆坂秀世氏の言です。