今、注目の共産党について考える(38)日本共産党解散の勧め

日本共産党のY参議院議員の主張は、資本主義の下での利潤追求は環境破壊や失業、不況を引き起こす悪の根源であり、絶対許されないというものです。だから利潤追求ができないように、生産手段(財産)を個人から取り上げて国有化・集団所有(社会化)としなければならないと言います。そして生産手段を社会化することによって「生産の目的が利潤追求から、社会を構成するすべての人々の生活を豊かにするため」に変わり、「地球と人類の共存」が可能となる。「これがマルクスが資本主義を分析して導き出した結論です」、「私たちが目指す未来社会です」と宣言しております。しかし、これは資本主義社会を打倒するという目的のために、作為的につくられた極めて非科学的理論と言わざるを得ません。利潤追求は本当に悪の根源なのでしょうか?生産手段(財産)を国民から取り上げれば、人間は利潤を追求しなくなり、社会全体のために奉仕するように人間性が変わるのでしょうか?生産手段を奪われた国民は「社会を構成するすべての人々の豊かな生活」のために、共産党が支配する社会のために、喜んで働くようになるとY参議院議員は言いますが、まさか強制的に働かせる魂胆ではないでしょうね?人が利潤を追求したり、富や価値の創造を追求するのは人間の本性ではないでしょうか。そしてその動機は自分自身の為であるとともに、家族の為、社会の為、国の為、世界の為、未来の為、子孫の為、先祖の為等々渾然一体となっているのではないでしょうか。人間は個人の幸せを追求するとともに、社会の一員として社会に貢献することを願っています。社会(他者)に貢献することが個人の幸せにつながり、社会の豊かさや平安なくして個人の幸せもありません。排除されるべきは、生産手段の私的所有ではなく、暴利を貪ったり極端に私利私欲に走る個人主義ではないでしょうか。歴史を振り返れば、生産手段(財産)の国有化・集団所有化がもたらしたものは、Y参議院議員がいうような「私たちが目指す未来社会」ではなく、奴隷労働、強制収容所、集団殺戮、強制移住、飢餓、粛清等々の悲惨な地獄のような社会でありました。そして国民から奪った生産手段は、ひとへに共産党とその仲間たちの利潤追求に利用されてきました。階級が無くなるどころか、新たな共産党・党員という特権階級が生まれました。政府がなくなるどころか、共産党一党独裁の政府が誕生しました。今の中国や北朝鮮を見ればよくわかります。共産党が主張するように「生産手段の社会化」によって「私たちが目指す未来社会」が到来するということはありえないことです。

今、注目の共産党について考える(37)日本共産党解散の勧め

共産党が生産手段の社会化を綱領に明記し、その核心的政策とする理由について考えてみます。Y共産党参議院議員は「資本主義のもとでは、利潤追求が生産活動の最大の推進力となります。なぜそうなるのか。それは工場・機械・原料などの生産手段が、個々の資本(企業)の財産となっているところから生まれます。だから・・利潤第一主義を乗り越えるためには、その生産手段の所有・管理・運営を個々の企業でなく社会全体で行う、生産手段の社会化が必要となる」と主張しています。そして生産手段を社会化することによって「生産の目的が利潤追求から、社会を構成するすべての人々の生活を豊かにするためへと切り替わる」ことができるとし、このことが生産手段を社会化する目的だと主張しています。個人個人が財産を持っていると、利潤追求に走るので、それを国家権力(共産党)が取り上げてしまって、個々の利潤追求ができないようにする。そして労働の目的そのものを社会(共産党政権下で築かれる社会)への奉仕に切り替えさせ、共産党政権下の社会を豊かにするために、人々を働かせるということになります。個々の利潤追求が否定され、個々の幸せ追求よりも共産党政権下の社会への奉仕が優先され、社会主義社会建設が労働の目的であると強制され、「能力(能力の判断は共産党が行い、共産党幹部やその子弟は能力があると評価され、主要な部署で働く)に応じて働き、労働(共産党政権にどれだけ奉仕するかによって、働いているか否かが判断される)に応じて受け取る(共産党幹部や党員は多くのものを受け取り、共産党に不満を持つ人々は社会の為に働いていないとみなされ、受け取ることができない)」社会をつくると言っています。このように人間性を無視して生産手段(財産)を無理やり国家権力で剥奪してつくられる社会はまさに地獄であります。共産党が個々の人生の生殺与奪を決定する権力を持つ社会というのが、共産党のいう社会主義社会であります。生産手段の社会化によって理想社会ができるなどと虚偽を宣伝するのは、かって北朝鮮を地上の楽園として宣伝したことと同じ犯罪であります。虚偽で国民を納得させることはできません。従って現在であっても、暴力革命という主張は共産主義者から必ず出てきます。また、共産党独裁であるにもかかわらず、プロレタリアート独裁とかなんとか言って、真面目に働いている人々を利用しようとするのは許されません。