日韓問題について考える(37)。1950年6月25日AM4時、 朝鮮戦争勃発

70年前の今日、北朝鮮はなぜ戦争を起こしたのだろうか。ふと手にした本には次のように記されていました。その本は『朝鮮戦争』(著:児島襄、文春文庫 1984年6月)です。その中で(p37〜38)。

「北朝鮮がいつ、どのような理由で南進を決意したかは、不明である。一般に伝えられているのは、ソ連からの軍事援助によって力の優勢を確信した金日成首相が、米国の『韓国放棄』政策、韓国の内部情勢などを考慮して、一気に武力による南北統一を決意した。とくに、金首相は、南労働党出身の副首相朴憲永が、韓国には50万人の南労働党支持勢力が待機している、北朝鮮軍が南進すればこれら支持者とゲリラのみならず一般市民も呼応する、と報告したことを信じていた、というのである。この点は、元ソ連首相N・フルシチョフもその『回想録』の中で、肯定的に述べている。『1949年の終わりに私がウクライナからモスクワに移された頃、金日成が代表団をひきいて訪れ、スターリンと協議した。北朝鮮人は南朝鮮を銃剣の先でつつきたがっていた。金日成の言によれば、最初のひと突きで南朝鮮の内部に爆発が起こり、人民の力が勝利を得るーーすなわち北朝鮮を支配している力が勝ちを占めるということだった』。 フルシチョフ元首相は、朝鮮戦争については『スターリンではなくて金日成が発起人だった』と指摘しながら、スターリン・ソ連首相が金首相の提案を支持したことも明らかにしている。『真の共産主義者ならば誰でも、南朝鮮を李承晩と反動的なアメリカの影響から解放したいという金日成のやむにやまれぬ欲求に、水を差すようなことはしなかったはずである。そんなことをすれば、世界の共産主義者の考え方と矛盾することになったであろう。もし私が彼の立場にあったならば、自分でも同じ決定を下したはずである』。フルシチョフ元首相によれば、スターリン首相は、金日成首相の南進は『朝鮮人が自分たちだけで、解決する内部問題』である点にも、注目して、金首相を『はげまして・・・全面的な成功を願った』という。米国が介入するのではないかとの懸念についても、『われわれはもし戦争が迅速に展開すればーーむろん金日成もすばやく勝利をおさめ得ると確信していたがーーアメリカの介入は避けられるとする考えに傾いた』と、フルシチョフ元首相は記述している。フルシチョフ元首相は、また、1949年12月から1950年2月までモスクワを長期訪問した毛沢東・中国主席も『金日成の提案を承認』し、問題は『朝鮮人民の国内問題』だから米国は介入すまい、との意見を表明した、と述べている」。

そして、「6月25日午前4時ーーである。北朝鮮軍は、五方向から38度線を突破して南進した」。

日韓問題について考える(36)。「慰安婦問題」の真実。長谷川慶太郎氏の意見に耳傾けたいと思います。

では、朝日新聞のアリバイづくりの目的は何だったのか。長谷川慶太郎氏は『2015長谷川慶太郎の対局を読む』という本の「中国と韓国の超最新動向」のなかで、

「既述したように北朝鮮は崩壊の危機に瀕している。北朝鮮が崩壊したら韓国だけではそれを持ち堪えることはできず、下手をすると韓国も一緒に潰れてしまうだろう。どうしても日本に助けを求めざるを得ないのだが、日韓の間にはトゲのように慰安婦問題が突き刺さっている。もし韓国が慰安婦問題で日本を非難し続けるなら、日本は韓国を助けようとするだろうか。おそらく助けないだろう。だが慰安婦問題で日韓関係をこじらせた張本人は朝日なのだから、もし北朝鮮が崩壊したときに日本が助けずに韓国も一緒に潰れることになったら、強い批判が朝日に向けられることになる。そうなっては困るというので、朝日は国民が戦争を意識する8月15日の終戦記念日以前に急いで検証記事を出したのだ。北朝鮮が崩壊した後では意味がないうえに、もし検証記事を出さなかったら朝日は慰安婦記事といずれ心中すると考えて、8月5日の検証記事となったのである。言い換えると、今の時点で『当時、虚偽の証言を見抜けませんでした』と言えば、朝日もかろうじて心中を免れると判断したのだった」。

と述べています。

かかる長谷川氏の見解によれば、朝日新聞も氏と同様に北朝鮮崩壊を予見しているということになります。

「北朝鮮が崩壊したら韓国だけではそれを持ち堪えることはできない」。しかし日韓関係がこじれたままでは、「そのとき日本は韓国を助けようとするだろうか。おそらく助けないだろう」と、長谷川氏は厳しい認識を示しています。