日韓問題について考える(20)。驚くべき「地上の楽園」ー『私が見た金王朝』よりー

タス通信平壌特派員八年間の記録『私が見た金王朝』(著者アレクサンドル・シェービン、1992年8月発行)より。

まずこの本の【はじめに】から引用ーー「タス通信特派員として平壌に赴任したのが最初で、ここで一年を過ごした。二度目は1983年2月から1990年5月まで、かなり長期に及んだ。この7年3ヶ月のあいだにこの国をかなり頻繁に旅行し、大都市をはじめ津々浦々に足を運んだ。工場や協同農場、研究所、『革命縁故の地』をくまなく訪れ、現人神・金日成、金正日と握手し、山里の農民とことばをかわし、文明諸国の規準に照らして兵舎にひとしい『人民の楽園』について、この国の人たちの言葉に耳を傾けた」。「文責はあくまで著者にあるが、この人たちの作品と言っても過言ではない」と書かれています。

この本の本文からさらに「地上の楽園」に関する部分を抜粋してみたいと思います。まず、『第三章「地上の楽園」の真実』からです。

【「人民班」という名の隣組】

「平壌市人民委員会行政機関局の金ハソク部長が話してくれたことだが、この隣組が組織されるようになったのは1945年に朝鮮が解放された直後のことで、いまや外国人をのぞいて、この国の住民は一人残らずこの人民班の組織に組み込まれている。『平壌新聞』によれば、北朝鮮では『社会の成員はすべて、例外なく、《権力機関の最小単位である》人民班に統合されている』。『人民班』とその成員の権利義務は特別の文書に明文化されており、各班は都市では20ないし30世帯からなり、40ないし60班で地域をなし、地域事務所がこれを指導している。地域事務所は地方の権力機関である人民委員会に属している。北朝鮮の新聞雑誌が始終指摘していることだが、金日成と金正日は、常にこの人民班の活動に注目している」。

「当局は人民班にどんな課題を与え、人民班はこの課題をいかに遂行しているのかの質問に、年長の班長として金ハソク氏が説明の労をとった。彼の言葉によると、人民班のいちばんの義務は『偉大なる首領様・金日成同志と親愛なる指導者・金正日同志の周囲に全ての班員を結束させる』ことにある。『まず何よりも、あらゆる手段・方法を用いて、敬愛すべき首領様と我が党(つまり金正日)の偉大さを宣伝し、思想的教育活動を精力的に進めねばならない。主体思想と革命的伝統に基づく教育をはじめ、階級的教育を行い、これによって班員を主体型の共産主義革命家に、偉大なる首領様と栄光ある党中央に無限に忠誠なる人間を養育する』ことにあると、人民班職員の市全体会議で指摘されたという」。

「人民班はまた、いわゆる『家庭の革命化』を推進する上で重要な役割を果たしている。こういった課題はまさしく人民班の枠内で主に解決されている。金日成が指摘しているように、『我々はまず家庭の革命化から着手し、ついで、人民班、班、職場、里(村)を革命化し、模範的単位を創造し、その経験を普及することによって、徐々に社会全体の革命化を実現し、その全成員を模範的な労働者階級に改造しなければならない』のである。新聞雑誌の資料によれば、『革命的家庭』の本質は、そのすべての成員を『金日成一族に対して無限に忠誠な』人間たらしめることにある」。

「北朝鮮人民は、『最大の価値』は個人の『物理的』生活ではなく、『首領様と党と大衆が不可分一体』であるところの『社会・政治的有機体』の一員として送る社会・政治的生活であることを認識しなければならない」「公式プロパガンダは『母親はいなくても生きられるが、親愛なる指導者の抱擁なくしては寸時も生きられない』といった考えを毎日吹き込んでいる」「金日成一族の『手を離れ』たり、彼らの独裁に抗議したりすることは、全人民の生活にとって価値はないとされている」「家庭の革命化の具体的な形として、月に一度、家族集会が開かれる。雑誌『今日の朝鮮』によれば、この集会では家族の一人一人が『経験を交換し、自己の成果を報告し、欠点を批判しあう』」

・アレクサンドル氏によれば、北朝鮮は「国全体が兵舎」と化しており、「金日成一族に無限なる忠誠を尽くす」ことなく生きていくことは難しいようです。

日韓問題について考える(19)。「左派メディア」の質問に対する李栄薫氏の答え。

信濃毎日新聞記者の質問に対する答え。

「私は、長い研究生活を通じ、1905年から10年までの日本と朝鮮についてたくさん考えてきました。大韓帝国の滅亡と日韓併合は20世紀の東アジアを歴史的に決定する大きな変化でした。日本もその後、帝国主義に入っていった。日本は大陸に進出し中国は共産化しました。私は、大韓帝国が滅亡したことは韓国人の歴史的な責任もあると考えています。(戦後精算については)いろいろな研究があるので、私があえて話す必要性は感じません。この本はあくまで、韓国人による自己責任と韓国人による自己批判の本なのです」。

朝日新聞記者の質問に対する答えは。

「2005年から07年にかけ当時、日本労務者だった人物約50人近くにインタビューしました。また、この本が出た後、多くの人たちが李承晩学堂のホームページや書評を通じて、自分の親戚や父や祖父が日本の労務者として働きに出た自身の家系の記憶について書いてくれました。それらを集約し資料と照らし合わせると、彼らが奴隷として働いたというのは、非常に誇張されたものだと思います。非常に政治的なグループによる強い主張が歴史を塗り変えてしまったと感じています。東京大学の外村さんの本は私もよく存じ上げています。素晴らしい研究者だと思います。しかし、募集と官斡旋も含めて強制連行であるとしてしまうのは行き過ぎだと考えています。それは韓国人を奴隷と貶めてしまう危険な考え方です」

共同通信記者の質問に対する答えは。

「『反日種族主義』をどんな読者、対象に向けてかということですが、正直言いまして、そういう考えをしたことはありません。韓国人全体に向けて書いたものです。韓国人が知っている歴史観のどこに問題があるのか指摘した、ということです。その病の根源を読んでもらいたかったのが出発点です。韓国の書店の分析では本を買っている人たちに30代が多いそうです。韓国で30代、40代は反日教育を受けており、50代、60代より、反日感情を持っています。私は、歴史はゆっくりした速度で進歩していると見ています。日本の読者層についても考えたことがありません」

以上久保田るり子氏の『正論』への寄稿文から引用させていただきました。つぎに日本経済新聞OBの方の質問とそれに対する李栄薫氏の答えを紹介したいと思いますので引き続き引用させていただきます。

日本経済新聞OBの質問

「私が韓国に赴任していた80年代は慰安婦問題がありませんでした。その後、88年にソウル五輪が開催され、当時われわれは韓国が豊かになれば日本に対してもう少しおおらかになるのではと期待していた。しかし、韓国は大きくなればなるほど反日が強くなっている。これはなぜだとお考えですか」。

これに対して李栄薫氏は、

「50年代から80年代まで韓国は高度成長しました。50年代から63年までは毎年10%成長を成し遂げました。李承晩、朴正煕、全斗煥と日韓協力はうまく進みましたが、88年の韓国民主化によって思想の自由がもたらされました。韓国ではそれ以前、マルクス主義に言及することさえ不可能でしたが、88年からそれが許されました。そこで押さえつけられていた政治勢力が一気に噴き出してきました。その中に大韓民国の建国に反対するものが多く含まれていたのです。彼らは親日派が大韓民国を作ったと考えてきた人々です。そういう反対勢力の政治的影響力が次第に増していき、93年に金泳三時代となり、それ以後、私がこの本で書いた反日種族主義の感情が韓国を支配してきたのです」と答えています。