今、注目の共産党について考える(52)。昭和30年、朝日が語る真実。
日本共産党が武力革命を掲げて実際に行動を起こしたことがありました。過去の朝日新聞で探してみると、次のような記事が見つかりました。昭和30年(1955)7月7日付の朝日新聞一面トップに掲載された記事です。大見出しで「日共、戦術を転換、治安当局確認」「『軍事組織』は解体、地下党員近く一斉出現、合法活動面に進出」とあります。「治安当局は6日、日本共産党が最近重大な戦術転換を行ったとの情報を確認した。当局が得た情報によれば、日共はごく最近中央ビューロー会議を開き、Y(軍事)組織の全面的な解体と、これまで保存していた武器などを廃棄するとともに、きたる7月15日の日共創立記念日を期して、地下活動中の党員もほとんど一斉に姿を現わし、合法活動に従事することなどを決め、これをこのほど下部組織に通達した、といわれる。またこの転換については来たる15日午後5時、東京蔵前国技館で開かれる党創立33周年記念式典(都委員会主催)で公にされるものとされている。しかしこれはあくまで当面の“戦術”転換であって、武装革命方式の変更ではないと当局はみている」と、朝日新聞は一面トップでこのように伝えています。
そして昭和30年(1955)7月16日の朝日新聞は、大見出しで「全国で二千人、地下党員姿を現す。ベールを脱いだ、日共記念集会」と報じています。「日共創立集会は15日東京をはじめ全国52ヶ所(参加人員2万9千人)で一斉に開かれたが、この機会に全国の地下党員約4千5百人のうち2千人が合法面に現れたと、同夜11時治安当局は確認した。記念集会は今月末まで、さらに全国2百ヶ所で行われるので、潜行幹部と少数のものをのぞいて、ほとんどの地下党員が浮かび上がって来るものと当局はみている」と記事が続きます。写真も掲載され次のように紹介しています。「式場の幹部席、前列左から米原、宮本、春日、志賀、松本(一三)、細川の諸氏。二列目、志賀氏の左が長谷部浩、右が伊藤憲一、その右が鈴木市蔵の諸氏」とあります。「志賀氏が代表して『きょうはお盆の15日、地獄のカマのフタもあく。だからといって徳田同志ら潜行幹部は現れない』と、満場をどっと笑わせた」とあります。
これらの記事からは、日本共産党が武力革命路線を打ち出し軍事組織をつくり、非合法活動を行ってきたことへの、なんらの謝罪や反省もうかがうことができません。戦術転換を国民に印象付けるためだけのお祭りのようであります。朝日新聞が報じたように「あくまで戦術転換であって、武装革命方式の変更ではないと当局はみている」ということは、その通りだと思います。「敵の出方」によっては、戦術を再度転換して、武力革命を打ち出すということです。