共産党との共闘は共産党独裁国家への一里塚(2)。

櫻井よしこ氏と屋山太郎氏の対談が面白い。月刊誌『歴史通』に掲載された対談から抜粋しました。櫻井氏「共産党は、自身の凋落をよく実感しているから、単独で政権は取れない、従って、民進党との共闘が大事だと分かっている」。屋山氏「(共産党は)一点共闘主義しかできない。・・一点共闘主義は、伝統的な共産党の戦略なんです。たとえば、第二次世界大戦後に、旧ソ連がポーランドやルーマニアの共産党に指令して、左っぽい政権と一点共闘主義で連合政府を作らせた。一点共闘主義だから、勝った後で相談ということになる。そうして、政権を奪ってしまうんです。共産党のやり方は、いつも一点共闘主義で、捕まえて、乗っ取るんです」。櫻井氏「共産党は、資本主義を経て社会主義に行くのが自分たちの最終目標だというんですすよね」。屋山氏「共産党は、一点共闘主義で連携して、政権を奪取してから、皆でどういう社会にするかを考えようと。要するに、目標は秘密にしておいて、他人には知らせないんです」。屋山氏「不破哲三の論文集には、将来の見本は中国、ベトナム、キューバとある」。櫻井氏「共産党の構想も目標も国民に対して説得力を持つとは言えない。そんな政党が単独では政権を取れないから、ホトトギス方式で他党に抱きつくことを政権奪取のひとつの手段としているとしたら、そのことを民進党はなぜ理解できないのか」。これ以上詳しくは月刊誌を読んでください。古森氏は同じ月刊誌でベトナム共産党のやり方について書いていましたが、ベトナムだけではなく、ポーランドやルーマニアが共産化していったのも共産党の一点共闘主義戦略があったからということが分かります。屋山氏が言われるように「一点共闘主義は伝統的な共産党の戦略」であることがわかります。日本共産党の戦略は、民進党と一点共闘主義で連携して先ずは自民党政府を打倒する。そして権力を握った後であらゆる手段を駆使して民進党を追放して、共産党の一党独裁を確立する。最終的に日本を共産党による一党独裁の共産主義国家にする。これが日本共産党の戦略であるということです。しかし、一点共闘しているあいだは、共産党の本当の目標について、共産党は何も真実を語らない、隠し通すという戦略です。民進党もきっとこのことは分かっていると思います。分かっているのに共産党との共闘が進んでいくのは、もう引き返せないほどに、連携が既成事実化しているからです。引き返す勇気はきっとないでしょう。

共産党との共闘は共産党独裁国家への一里塚(1)。

古森義久氏の『ベトナム戦争の教訓』ーベトナム共産党と日本共産党はあまりにも似ているーという月刊誌への寄稿文を読ませていただきました。古森氏は毎日新聞記者としてベトナム戦争の終結を見届け、南ベトナムには通算4年近く駐在したという事です。その時の最大の教訓の一つが「共産主義勢力との“連合”や“共闘”がいかに苛酷な結末をもたらすかを実感したことだった」と述べています。第一次ベトナム戦争では共通の敵はフランス軍であるとして、ベトナム共産党は非共産勢力とベトナム独立同盟会(ベトミン)を結成し、戦いに勝利すると、今度は一緒に闘った非共産勢力の指導者をあらゆる手段で抹殺し、組織全体を乗っ取り、共産党一党独裁のベトナム民主共和国を樹立したということです。第二次ベトナム戦争(1965年〜1975年)でも、民族解放の名の下に共産党と非共産勢力が連合・共闘し、南ベトナム政府を崩壊させました。しかし共闘したカトリック教徒、仏教徒、民族派など非共産主義勢力はすべて共産党の新政権では排除され、弾圧され、ついには数百万人もの住民がボートピープルになるという世紀の悲劇を産んでしまったという。「ベトナム戦争は民族独立運動と共産主義革命の両方だった。その主役のベトナム共産党は長い闘争期間中、他の勢力を引き込むために自己の存在を薄め、民族独立という面だけを強調した。共産主義という側面を徹底して隠した。日本の大多数の識者もメデイアもベトナム戦争のこの両輪のうちの民族独立だけをみて、共産革命の実態を見なかった」「そのベトナム共産党の戦略と今の日本共産党の動向をくらべると、ぴたりと重なる部分が多い」との古森氏の指摘を我々は肝に銘じなければなりません。共産党の戦略に乗ってはなりません。