大阪の都市制度改革の必要性について考える(43)。自民党の民主主義観について。

まず、平成26年10月、市会本会議での自民党(自民党市会議員団を代表して)の発言です。

「先日の財政総務委員会の質疑の中で市長は、直接民主制がメーンである、特別区設置法で最後は住民投票で決めるということが定められているから、議会での議論は住民投票に向けたお手伝いであるなどとおっしゃっておられました。これは間接民主主義、議会制民主主義を根本から否定するものであり、政治家であり法律家である市長の発言とは到底思えません。直接民主制である国民投票や住民投票の制度の導入については、間接民主主義を補完する機能が期待されているのであって、直接民主主義を導入するから間接民主主義が不要ということにはなりません」。

「市長ありがとうございます。民主主義についての考え方が若干違うようでありますけれども、当然、私も直接民主主義を否定するものではありません。直接民主主義、例えば古代のギリシャの都市国家のアテネや第一次世界大戦後のドイツ、あの例を見ればわかるように、直接民主制の怖さというものもあります。非常に言葉巧みな扇動者の詭弁で誤った意思決定をした、そういう事例があります。衆愚政治をいかに防ぐのかというものも間接民主主義、我々に課せられた責任だと思います。複雑な政治課題を調査に専念してしっかりとした答えを出す、それも間接民主主義の仕事であります。人類の知恵として間接民主主義が生まれました。これを否定している者は民主主義を危うくするものだと思います。市長にお伺いしますけれども、やはり私は、最後は住民投票で決めるのではなくて議会が決める責任があると、このように思っております。府議会、市会がイエスと判断したときのみに住民投票が行われます。ノーの判断の場合は住民投票はありません。よって、この協定書を判断するのは議会であると考えますが、いかがでしょうか」。

以下、橋下市長の民主主義観(議会答弁より)。

「ぜひ、今のような考え方についても住民投票をしませんか。大阪都構想の是非の前に、これは議会で最終決定権を持つものなのか、やっぱり住民投票で決めていくべきなのかを先にプロセスとして、そういう形で住民の皆さんに聞いて、議会で決定して欲しいということであれば、もうそれは僕もそうかなというふうに思います。ただ、僕の感覚では、この問題については住民の皆さん、反対者も含めて住民投票で自分たちの意思で決めさせて欲しいという思いが僕は強いと思ってます」。

「ですから、これはあくまでも直接民主制が原則であり、僕は、直接民主制が議会制民主主義を補完する機能だなんていうのは、これは有権者に対して大変失礼な発言だと思っています。直接民主制が原則であって、それが技術的に困難だからか間接民主制で補っているというところが僕の理解する民主主義でありまして、ここはもう全く議員と民主主義の捉え方が違うのかなと思っています。繰り返しになりますけども、議会制民主主義はあくまでも直接民主制の補完です。本来であれば特定案件について一人一人の有権者の賛否を問うていくのが本来の民主主義ですけども、やはりそういうことは技術的に困難、費用的にも困難であるがゆえに、議会制民主主義、代表制というものをとっているのが今の現状だという理解からすれば、直接民主主義の形態である住民投票というものが定められている大阪都構想に、大都市法ですか、特別区設置法においては、やはりこれは住民の意思でしっかり決めるというところを議員の皆さんは認識していただかなければいけないと思っています。議会がノーと判断するということは、僕はちょっとよくわかりません。議会の承認というものはあくまでも住民投票に付すための環境整備のものだと思っていますので、ノーはあり得ないと思っています」。

以上自民と橋下氏のやりとりを一部見てきました(詳しくは議会議事録をお読みください)。自民党の民主主義観というのは、直接民主主義は衆愚政治につながるので、人類の知恵として間接民主主義である代議制というものが誕生したという。だから全て議会(市議会や府議会)で決めるという。直接民主主義である住民投票を行うにしても、議会で議決した事についてだけに限定されるという。果たして民主主義とはそうなのか、違和感を感じます。間接民主主義を補完するのが直接民主主義だという自民党の意見には橋下氏と同じく私も賛成できません。間接民主主義とは議会制民主主義を意味する事だと思いますが、この議会を構成する議員は市民・国民から選ばれた代議員であります。主権は市民、国民にあることは明白であり、日本憲法にも国民主権が明確に謳われています。もし少人数による賢人政治が理想ということを意味するのであれば、これは共産主義国家の共産党独裁政治理論、前衛論に通じる恐ろしさを感じます。

自民党は、市長とは「民主主義観が違う」といいますが、どちらの民主主義観が民主主義的であるか、皆さんはどう思われるでしょうか。

自民党のこのような民主主義に対する見解は、平成27年5月の住民投票の前に示され、議会でも主張してきました。しかし、住民投票が終わった後の主張は変化しました。「住民投票とは、主権者たる有権者の直接の投票で判断されるもの、『究極の民主主義』によって示されたものである。それにもかかわらず、その後、数ヶ月後に実施された市長選挙で、・・・・再挑戦することが当然であるかのような主張ができるということは、民主主義を弄ぶものであり、民主主義の危機である」と維新批判を展開しています。この文章は平成29年5月議会に自民党が提案した意見書の中に記載されています。

住民投票前は、直接民主主義は衆愚政治に陥る危険性があるとして住民投票に反対し、直接民主主義(住民投票)は間接民主主義(大阪市議会・大阪府議会)を補完するものでしかないとの主張を展開しました。しかし住民投票で都構想が否決されると、見解を180度転換して、住民投票は『究極の民主主義』であるから、一度民意が示されたのだから、市長選挙で勝ったとしても、再挑戦は許されない、民主主義を弄ぶもの、民主主義の危機であるとして、維新批判、都構想再挑戦批判を展開しています。

住民投票前は住民投票は間接民主主義である議会制民主主義を『補完』するものという主張をし、住民投票後は住民投票は『究極の民主主義』だと主張を変更しています。民主主義を弄んでいるのはどちらなのでしょうか。

大阪の都市制度改革の必要性について考える(42)。自民党の二重行政観について考える。

「大阪市が特別市になったら、ムダな二重行政を完全に解消できる」と自民党大阪市会議員団の広報誌『自民市民』(2017Vol.23)に書いてありました。ムダな二重行政が大阪府と大阪市の間にあるということを認めています。そして「ムダな二重行政についても、特別区では完全に無くなりませんが、特別市ならすべてなくせます」と主張しています。

平成26年10月の市会本会議で自民党は「(市長は)二重行政の話をされますけれども、当初4,000億円の話でも言いました。二重行政はそんなにないんです。先ほどおっしゃったことを解決するのに大阪市を廃止して解体するほど、それほどしないとできないものなのかどうなのかということをきちっと伝えるべきです」。と述べています。

しかし「二重行政はそんなにない」という主張と、自民党が目指すといわれる特別市になれば「ムダな二重行政を完全に解決できる」との主張、ムダな二重行政はあるという認識だと思われます。「二重行政はそんなにない」ということと、ムダな二重行政はあるという認識。普通に読めば乖離があるように思うのですが、二重行政に対する明確な見解が必要だと思います。また、大阪市が特別市となれば、大阪市は大阪市域、大阪府は市域以外の府下という、二元行政に拍車がかかるのが気にかかります。道州制もどうなるのかまったく不透明です。

次に、二重行政について、自民党と橋下市長の質疑のやりとりを見てみましょう。

●自民党の質疑者:「WTCとりんくうのあのタワービルは二重行政だったんでしょうかお伺いします」

⚫︎橋下市長:「二重行政です。広域行政が一本化されていれば、1人の知事、1つの役所があんな二本の巨大なビルを建てることは絶対にあり得ません」。

⚫︎自民党の質疑者:「あれは私は、二重行政ではなくて、明らかに政策の失敗だと思っております。それを二重行政というふうに言われるのは大変遺憾に思っております」。

⚫︎橋下市長:「政策の失敗原因を分析しなければいけません。・・・大阪府知事・大阪市長、大阪府議会・大阪市議会がそれぞれ大阪府域内という狭い領域において同じようなビルを建てる権限と財源を持っていた、これがもう最大の失敗の要因です。ですから、これを二重行政と呼びます」。

●自民党の質疑者:「しかし、あれは明らかに、二重行政の失敗ではなくて政策の失敗であり ます」。

ー(詳しくは平成26年10月の本会議議事録をお読みください)ー