大阪の都市制度改革の必要性について考える(49)。産経はどっち?

平成29年4月17日の産経新聞『主張』欄は人口減少社会を取り上げ、「将来推計人口、激減後の社会に向き合え」と題し次のように書いています。「とりわけ急がれるのは、社会の支え手がハイペースで減ることへの対応である。・・・その影響は、社会保障制度や経済だけにとどまらない。税収の落ち込みは行政サービス全体を劣化させる。若者の少ない社会は活力がそがれ、あらゆる場面で人手不足が深刻化するだろう。個々の事業に付け焼き刃で対処しても効果は薄い。過去の常識を打ち破る発想が大事だ。コンパクトで効率的な町づくりは不可避である。・・・人口減少を乗り越える強固な政策づくりに、政府は本腰を入れてもらいたい」と。来たる人口減少社会に備えて力強い言葉で持続可能な社会への改革を求めています。産経新聞の本気度がうかがえます。

ところが

具体的な都構想の問題になると、「過去の常識を打ち破る」という主張からかなりトーンダウンしています。7月4日の産経新聞の『西論』はこうだ。「二重行政の無駄を解消し大阪の競争力を高めるという都構想の問題意識は、いまも必要なものだ」「けれども府立・市立大学の統合のように、統治機構の改革を伴わなくてもできる改革はある。過去のまず都構想ありきの発想があるなら、足元を見直すことも必要である」「いたずらな対立が続く構図は、府民、市民のだれも好ましく思うまい。賛成、反対の双方とも、いかに住民の利便性を図るか、いかに大阪の都市力を上げるかという原点に、立ち返るべきだう」と、対立を避けて話し合いで改革を行うべきだとの主張となっています。

一方『主張』では「人口激減後の社会に向き合え」「個々の事業に付け焼き刃で対処しても効果は薄い。過去の常識を打ち破る発想が大事だ」と。改革に対する産経新聞の本気度が伺えます。過去の常識を打ち破る政策を推進しようとすれば、過去の常識にこだわる人が必ず出てきます。従って、過去の常識を打ち破るという事は、過去の常識を守ろうとする人と、過去の常識を打ち破ろうとする人との論争・対立が生まれてきます。そしてこれに勝たなければ過去の常識を打ち破る事は出来ません。このことも含めて、産経の『主張』は「常識を打ち破る発想」が必要と訴えているのではないでしょうか。

しかし

『西論』では都構想の必要性は認めながらも、対立はいけない話し合いで、できることから二重行政の解消をはかるべきだ、という主張だと思います。別の言葉で言えば、常識の範囲内で改革をせよ、という事でしょうか。「常識の範囲内」か「常識を打ち破る」のか、いったいどちらが「産経」らしいのでしょうか。また『西論』の主張は「統治機構の改革を伴わなくてもできる改革」に、改革を限定せよ、と言うことなのでしょうか。それとも統治機構の改革も話し合いで、ということなのでしょうか。もちろん維新だけでものごとを前に進めることはできませんので対話の重要性についてはよくわかっておりますが、都構想の必要性についての認識も含めて「産経」の考えがもひとつよく分かりません。

ちょっと気になったので書いてみました。

ここで橋下前大阪市長の議会での発言(平成25年11月)も紹介しておきます。

「議員、もうちょっと将来を見越した議論をしていただきたいですね。これ、少子高齢化社会を迎えて、どんどん行政サービスの支出というものは増えていきますよ。一方、歳入は、それは右肩上がりに増えていかないですよ。そうすると、どういうことを考えなきゃいけないかというと、政策について、住民サービスについて選択をしていかなければいけないという、もうそういう時代に今、突入しているんです。どんどん住民サービスを増やしていく、もうそういう時代ではありません。じゃ、住民サービスを選択していくという、その意思決定をやるのに、この260万人単位でやるということがどれだけ大変なことなのか。そっちの方が。もう不可能ですよ。限界ですよ。・・・少子高齢化時代を迎えて、限られた財源の中で住民サービスは増えるわけがない、その中で選択をしてもらうというその厳しい選択というものを住民の皆さんにやっていただこうと思えば、意思決定の仕組み、これを今の一極集中、中之島集中型を地域分散型にこれは変えていかなきゃいけない。これは地方分権というものそのもの、理念がそういうことです。地方分権というのは、受益と負担の関係を明確化していくということなんです。それをこの大阪市で、先を見越してやりましょうということです。・・・少子高齢化時代に、もう本当に待ったなしですよ」。

都議選を他山の石として。

今回の都議会議員選挙において自民党は57議席から23議席に激減するという歴史的敗北となり、一方都民ファーストは49議席と大躍進をしました。その背景について考えて見ますと、まず第一に長年にわたり都政改革、議会改革を怠ってきた都議会第一党である自民党の責任が糾弾されたと言うことがいえると思います。反対に改革を掲げた小池氏に都民の期待が示されたということです。オリンピック経費の問題や豊洲市場を巡る、都民が知らされていない、いや議会でさえ知らされていなかったという都政の闇の部分が露わになり、都民の都政への不信が頂点に達し、その責任を求めたということだと思います。信頼が裏切られたという都民の思いが、責任与党である自民党の大敗北という結果をもたらしました。

さらにもう一つの理由は、都議会自民党は小池知事になってからも、改革に背を向け続けてきたことであります。1年前の都知事選の敗北を謙虚に受け止めて、小池改革に協力するとともに、都政・議会改革も率先して行わなければならなかったにも関わらず、相変わらず反対のみに終始してきた。このような姿勢がまた糾弾されたのだと思います。しかし、このことは他山の石として我々も常に心に刻まなければなりません。

また国政での安倍政権の緊張感のなさと、森友問題や加計学園問題での逃げ腰の姿勢が批判され、今回の結果につながったと思われます。選挙結果が判明したあと、安倍首相は、国民への丁寧な説明と、政権に復帰した時の謙虚さに立ち返るとの約束をしました。その実行を見守っていきたいと思います。

逃げたら負けます。立ち向かってこそ勝機が生まれてくるのではないでしょうか。