昭和34年12月14日、新潟港から北朝鮮に向けて、帰国事業の第一次船が出航しました。今思えば、これはまさに地獄への旅立ちとなりました。なぜかかる帰還事業が行われたのか。このことは政府のみならず帰還を煽ったマスコミの責任も厳しく問われなければなりません。
当日の朝日新聞夕刊には「北朝鮮へ帰る在日朝鮮人238世帯975人を乗せた第一次帰還船クリリオン号は14日午後2時9分、トボリスク号は同2時31分、相ついで新潟港を出港、清津港へ向かった。世界の注目を浴びてきた『自由圏から共産圏への最初の集団大移住“北鮮帰還問題”』は11ヶ月の曲折ののちようやく実りを見せたわけである」と記されています。朝日は「実りを見せた」と評価しています。
そしてこの日の朝、北朝鮮赤十字代表団の金珠栄副団長は帰還船トボリスク号で朝日のインタビューを受け、「受け入れ準備は万全である」として次のように語ったと報じられています。「一、技術の有無は別として職業は帰還者の希望通り工業面にも農業面にも向ける。教育も希望や態度によって受けさせる。学校では働きながら勉強しており、技術の義務教育も今年から始められている。工場では技術専門の夜間教育もしている。一、労働者の平均賃金は月50円(ウオン、日本円で1万5千円=日銀調べ)物価が安いのは住宅費、電気、水道料、米などだ。住宅費は二部屋のアパートで月50銭ぐらい。米だけは配給だがこれも月50銭足らずだ。衣料は配給ではない。一、日本から一銭も持ち帰らない帰還者も政府が準備金を支給し、衣食住すべての面倒を見るから心配はない。病気も保険で直してもらえる。1日の労働時間は8時間である。農民の労働も機械化に入っているので軽くなるだろう。映画なども発達しており、テレビももうすぐ始まる。一、帰還者の受け入れ準備としては都市や農村に1万戸の住宅を用意しているが、帰還の進展とともに続々建てる計画だ。みんなブロック建てのアパートや農村住宅などで、組み立て式だから速度が早い。8分間に一戸の割りで建設が進んでいる」と朝日新聞は報じています。これが事実なら、当時の日本の社会事情からみれば、まさに“地上の楽園“です。しかし、朝日新聞は確認したのでしょうか。報道以後も確認した形跡はありません。確認もせず地獄のような社会を“地上の楽園”と報道し続けた責任は地球よりも重いと言わなければなりません。
私はこの記事をみて、朝日新聞は本当におろか者か、あるいは北朝鮮の手先なのかと思わざるを得ません。「8分間に1戸」が建設される住宅を想像したのだろうか?「1日の労働時間は8時間」「病気も保険で直してもらえる」「職業は帰還者の希望通り」「テレビも見れる」などと北朝鮮代表団の言葉をそのごとく報道しています。疑問に感じなかったのでしょうか。当時の北朝鮮の事情を直接取材もせず確かめもせず、鵜呑みにして、言われるままに報道しています。報道機関として失格です。
上の写真は、昭和34年12月21日の朝日新聞です。確認したわけでもないのに「身ぎれいな町の人、立ち並ぶアパート」「希望の顔」と北朝鮮を絶賛しています。これを読んだ人は、北朝鮮はまさに“地上の楽園”だと信じたことでしょう。朝日のこのような報道が帰還へのさらなる誘導になったと言えるでしょう。