大阪の都市制度改革の必要性について考える(51)。人口減少社会への北九州市の取り組みについて。

8月の4日、北九州市を訪問し今後のまちづくりの取り組み(北九州市立地適正化計画)について学んできました。北九州市は今後コンパクトなまちづくり政策を進めていくということです。そのための計画が立地適正化計画です。町をコンパクトにするとは、市街化区域の中の居住地域9500haを約半分の5600haに縮小し、そこに居住を誘導するという計画です。この「居住誘導区域」の形状が恐竜のかたちに似ていることから「コンパクトザウルス」型都市構造の実現を目指すとしています。

なぜコンパクトなまちづくりを行わなければならいのでしょうか?その必要性について、「本市は、今後急速な人口減少と超高齢化により、住宅市街地の低密度化、地域活力の低下が進み、厳しい財政状況のもとでは、市民生活を支えるサービスの提供が困難になることが予想されます。このような人口減少下においても、地域の活力を維持・増進し、都市を持続可能なものとするためには、医療・福祉施設、商業施設や居住等がまとまって立地し、高齢者をはじめとする住民が公共交通によりこれらの生活利便施設等にアクセスできるなど、福祉や交通なども含めて都市全体の構造を見直し、コンパクトなまちづくりを進めていくことが重要です」とその必要性を指摘しています。

北九州市の人口は平成22年の98万人から、平成52年には20万人減少し78万人になると予測。また高齢化率は25%から38%に増加、生産年齢人口比率は61%から52%に低下すると予測しています。 

来たる人口減少・超高齢化・少子化社会に備えて、北九州市はまちを半分に縮小するという画期的な立地適正化計画を立て、将来にわたって持続可能なまちづくりを目指していることがわかります。

大阪市も人口減少・超高齢化・少子化社会に向かっていくのは北九州市と同じであります。政治は何をなすべきなのでしょうか。現状維持で何もしないという事は、政治の死を意味します。大阪にふさわしい改革を行っていかなければなりません。

今、注目の共産党について考える(56)。戦後の暴力的破壊活動について「分裂した一方が行ったことで、党としての活動ではない」という嘘について(2)。

再度、産経出版の『日本共産党研究』から引用します。

「過去の暴力事件は確かに『終わったこと』かもしれないが、公安調査庁や警察庁が問題視しているのは、民主主義革命から引き続き社会主義革命に至るという『二段階革命』ともいえる方針を現在の共産党も綱領で堅持していることだ」。

「しかもこの団体は過去の過ちを認めていないのである」。

「日米安保条約の廃棄や自衛隊解消を棚上げしてまで他の野党に国民連合政府構想を呼び掛け、天皇陛下が臨席された国会開会式にも出席するなど、共産党が進めるソフトイメージ路線は確かに浸透しているかもしれない。だが、過去の事実を率直に受け止めず、『一部の反党分子がやったこと』として何の反省もせず、いまだ綱領に『革命』を明記している限り、共産党に対する疑念が消えることは決してないだろう」と結論づけています。

私は疑念どころか、今は革命に有利な状況を作り出す為に平和主義を装っているだけで、時が至れば暴力を使ってでも共産主義社会をつくるという強固な意思を持っているのは間違いないと思っています。その意思を隠しているだけにすぎません。だから彼らは過去の事実を認めず謝罪もしません。将来、共産主義者による「コミンテルン」や「コミンフォルム」のような組織ができないとも限りません。将来の「コミンフォルム」から日本共産党に対し、武力による革命路線を指示されたらどうなるでしょうか。日本共産党は過去にあったように2派に分かれ、激論が交わされることでしょう。しかし再度、将来の「コミンフォルム」から、暴力革命への路線選択を決定するようにとの強い指令がきます。日本共産党は秘密裏に党大会を開催し暴力革命路線を正式に決定します。その結果日本国内ではあちらこちらで武装蜂起が起こり国内が大混乱に陥ります。かって起こったことがさらに規模を拡大して再現されます。そして本国の指示によって行動をおこす外国人も出てくることでしょう。

しかしもし、再び日本共産党が暴力革命に失敗した時には、彼らはまた同じことを言います。「分裂した一方が行ったことで、党としての活動ではない」と。そして次のチャンスを待つことでしょう。

しかしもし、日本共産党が暴力革命に成功した時、彼らはこう言います。「暴力革命という歴史的決断をし、革命が成功した。決断した指導者は国家の英雄だ。共産主義国家樹立の英雄だ」と称賛することでしょう。

そういうことが分かっていても、それでも共産党との連携を進めていこうとする政治家や政党があることは、理解の範囲を超えています。