日韓問題について考える(22)。驚くべき「地上の楽園」(3)ー『私の見た金王朝』よりー

『第3章「地上の楽園」の真実』より

【買い物手帳による統制】

「食料品にしろ、一般の消費物資にしろ、厳重な統制のもとで市民に限定供給される」

「この国の住民が国営の商業システムのもとで商品を入手するための主要な書類は『家庭の買い物手帳』と呼ばれるものである。この手帳は居住地の一定の商店で一家族に一手帳有効とされている。例えば、郡の最大の商店であるこの郡百貨店には1870家庭が登録されている。これは166の人民班だが、彼らはこのデパート以外では限定商品は買えない」

「買い物手帳は薄っぺらな印刷物で、そこに家族構成、年間の予定収入額が記載されているほか、農村や都市近郊住民の義務である年間豚二頭を国家に供出することによって得られる副収入を記載する欄がある。さらに『家族の主要行事』という欄があり、一定の割り当て以上の買い物ができる六つの行事が列記されている。・・・このほか『生活展望』という文字通り生活全般にわたる欄があり、家庭で所有が許される耐久消費財が17品目列記されていて、所有の有無と入手の日付けに印をつけるようになっている。新たにこれらの商品が購入できるのは、国家が定めた耐用年限が過ぎた後になるわけだ。テレビ、ミシン、時計、毛布、シーツ、カーテン、帽子、コートなどがこれらの品目に含まれている。『台所用品』『生地と衣服』の欄もあり、最後に『計画外収入』の欄がある」

「このように『買物手帳』は市民の物的状況を全面的に統制し、国家が無用とみなす財産の入手を許さず、当局が許可しない住居の移動を不可能にしている」

「大衆必需品や食料品のなかでもっとも需要が多い品物の割り当てについていえば、・・・例えば新興では一世帯当たり月に石けん4個、四半期ごとに一人当たり靴一足、一人当たりトウモロコシの油が1日15グラム、醤油30グラムだが、道都の咸興市では醤油は一人1日50グラムだった」

「食料供給システムの基本は、働く成人の1日当たりの割り当てが米七百グラム、重工業労働者は八百グラム。学生や子供は五百グラム、そのほか不就労者・年金生活者の割り当ては三百グラムだと、咸鏡南道の計画委員から公式会見のおりに説明を受けたが、実際、国防援助や南北統一の運動がらみで1日の割り当ては六百グラムぐらいが普通である。だが、ほかの資料によれば、この割り当てが四百グラムにさがることもある」

・北朝鮮は、『買い物手帳』によって食料や帽子、毛布、カーテンなどの日常品に至るまで国家権力によって完全に統制し、人民委員会の許可なく何一つ入手することができない社会をつくっています。

・日本のマスコミは、北朝鮮は「地上の楽園」だとかって盛んに宣伝しました。『地上の地獄』を「地上の楽園」と偽って宣伝した日本のマスコミの罪はあまりにも大きい。それによって多くの在日の人や日本人が北朝鮮に渡っていったのですから。いまだに帰国を許されていません。

・文在寅政権は韓国国民をこのような『地上の地獄』に連れて行こうとしています。

産経抄が語る「立憲民主党の正体」とは。

1月11日の産経抄を拝見しました。

立憲民主党の安住淳国対委員長は8日、「こんななかで派遣するという感覚はちょっと信じられない」と記者会見で強調したという。中東への自衛隊の派遣問題です。

産経抄は「こんななかで」「なぜ非武装の民間タンカーがアラビア海を運行するのはよくて、不測の事態への対応能力が高い自衛隊はいけないのか」と疑問を投げかけています。

さらに平成27年3月の衆院予算委員会での枝野幸男代表は「中東からの石油が止まった場合について、こんな発言をしていた。『いろいろな混乱が生じるけれども、国民の生命がたくさん失われるという事態とは違う』」との枝野氏の国会での議論を紹介し、

「立憲民主党は『原発ゼロ』政策を掲げている。原発が稼働しておらず、石油もほとんど入ってこなくなった日本が、国民の生命をちゃんと守れるとは考えにくい」と厳しく指摘しています。

原油輸入経路の安全確保には無関心で原発ゼロ政策、このような立憲民主党の政策では、産経抄が言われるように国民の生命と安全を守ることはできません。日本は原油の9割近くを中東に依存しており、電力の8割を火力発電が占めています。イラン沖ホルムズ海峡では1日約10隻の日本タンカーが往来しています。もっと現実的に政治に取り組まないと、我々は空想家に政治を委ねているわけではありません。反対ならばきっちりと対案を出して議論しなければ、もはや政治とは言えません。対案を出しなさい。

しかし、産経抄は最後に「もっとも立憲民主党では、最高顧問を務める菅直人元首相がかねて『昔はおじいさんは山に柴刈りに行き、おばあさんは川に洗濯に行く、全て再生可能な自然エネルギーだった』と主張している。それが彼らの理想なのであれば何をか言わんや」と締めくくっています。批判はすれど対案がない。無責任もいいとこですね。呆れてものが言えませんね。