日韓問題について考える(9)。『反日種族主義』の執筆者が語る。日本軍慰安婦問題について。文春オンラインより

【編集委員】

「この本の中で、慰安婦問題が反日種族主義の核心部分だと主張なさっています。その理由をお聞かせ下さい」。

【李栄薫前ソウル大学教授】(著者で執筆グループのリーダー)

「私は韓国で韓国古文書学会を創立し、会長をつとめました。2012年、韓国学事業研究所の古文書調査チームから連絡がありました。ある日、チームのメンバーが『京畿道坡州(パジュ)の個人博物館を調査するが、一緒に行きましょう。慰安婦の資料があるらしい』と言うので、すぐに『私も行くよ』と言いました。で、はじめて朴治根(パクチグン)という人物の日記を見つけました。1916年から57年まで約40年間の日記帳でした。朴という人はシンガポールやビルマで慰安所を経営していました。1942年から44年の日記は慰安所に関するものでした。戦争のために朴さんは大邱で旅館を運営しましたが、それは慰安所でした。そして妻と一緒に20人の若い女性を連れてビルマに行って2年間、慰安所を経営しました。私は日記を現代語に翻訳しました。そして落星経済研究所の研究員達と1年間にわたって慰安婦に関するゼミを開いて研究しました。日記を見れば、慰安婦たちは自分の意思で仕事をやめて廃業し自分の故郷に帰っていました。それ以前、研究者たちは、『慰安婦は奴隷で自由に戻ることはできない』としていました。日本の吉見義明の説でした。私もその説に立っていました。しかし、私の発掘した資料では慰安婦たちは自由に行ったり来たりしていました。慰安婦の業者達は女性を募集するのに苦労していました。インドネシアやスマトラからも女性たちが来ました。日記は具体的でした。性奴隷などではない、戻る自由、戻る権利もありました。そのような女性たちをどうして奴隷と言えますか。

あとは文玉珠(ムンオクチュ)さん。文さんには回顧録があります。回顧録まであるのに文玉珠さんは奴隷と規定された。これもウソです。(文玉珠は極貧の育ちから慰安婦となり、ビルマ戦線の慰安所で働いた。闊達な女性で日本人の恋人もでき大金も稼いだ。のちに韓国挺身隊問題対策協議会〈2018年、日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯に名称を変更〉に説得され慰安婦として名乗り出たことで韓国社会から蔑視されて失意の中で死亡。回顧録は失意の中で日本人作家の森川万智子に自身の体験を語り、出版された)

朴治根の日記を発掘して翻訳しながら、慰安婦たちが小規模な営業者である、自分が営業の主体であったことが分かりました。慰安婦は債務を返済すると祖国に戻ることができると。私の立場は変わりました。慰安婦たちは、性奴隷などではなかった。

ソウル大の図書館には1964年から1967年までの韓国の至る所にいた米軍慰安婦の調査論文があります。そのほかに民間の慰安婦に関する修士論文もいくつかあります。これらも全部集めました。彼女たちの悲惨なあり方は日本軍慰安婦より厳しく悲しかった。調査で女性たちに日本軍慰安婦と米軍慰安婦のどちらがいいかと聞いたら、日本軍慰安婦と言います。日本軍慰安婦は何より暴力から保護されました。所得水準もいいです。重要なのは妊娠から保護されました。それは重要なことです。米軍慰安婦は流産を強要されました。出産した子どもたちは米国に移送されました。毎年1000人ぐらいの赤ちゃんが米国に移送されていったのでした。

この事実を知って私は本当にびっくりして怒りがこみ上げました。自分の歴史の中にこのような悲惨な悲しい歴史を持っているのに、どうして28年間も日本軍慰安婦だけを外交問題にして両国関係を悪化させてきたのか。自分の内部には目を閉じて、敵対的な種族に対して批判するという均衡のない立場です。それが種族主義なのです。本当に、恥ずかしい問題なのです」。

【編集委員】

「現在の日韓関係の悪化は慰安婦問題、徴用工問題が核心部分です。こうした政治問題に学者としてできることは何でしょう」

【李栄薫前ソウル大学教授】

「私はこの2つの問題で韓国政府が内部から解体されたと思っています。その上でさらに、この2つの問題によって韓国人の種族主義の歴史認識はどんどん強くなってきました。そして文在寅政権が成立したのです。危ない、と思います。私はあくまで研究者ですから研究者として、その危険性を国民に告発するだけです。それ以上私にはできないです」。