有村治子参議院議員の質疑(1)、2021年3月24日、参院文教科学委員会 「 河野談話について」

ー《河野談話について》ー

【有村治子参議院議員】慰安婦問題については、平成4年(1992年)宮沢内閣として加藤紘一官房長官談話が出され、当時の加藤官房長官は強制連行を示す資料はなかったと明言をされています。しかしなぜまた翌年同じ内閣において再び河野談話出さなければならなくなったのでしょうか。官房長官談話という政府としては極めて高い談話が同じ内閣で立て続けに、慰安婦問題という同じテーマで発出されること事態大変異例なことであります。平成4年の加藤談話から平成5年の河野談話発表までの一年間、めあたらしい物件証拠の発見など歴史認識を揺るがすような事態がなかったにもかかわらず、  なぜ後者は強制性を認めるように至ったのかご説明ください。

【安中内閣参事官】平成26年6月20日に公表されました河野談話作成過程等に関する検証チームの報告書においては、加藤官房長官発表の後も韓国の世論においては慰安婦問題に対し厳しい見方が消えなかった状況を受けまして、当時の内閣外政審議室と外務省の間で、慰安婦問題に関する今後の措置について引き続き検討が行われておりました。各省庁におきまして加藤官房長官発表以降も引き続き関連調査を行なっていたことが確認されております。平成3年12月から河野長官の談話が発表されました平成5年8月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これら全体として判断した結果、平成5年8月4日の河野長官談話となったものでございます。

【有村治子参議院議員】やっぱり韓国の世論がこれでは許さないから、というのが大きな原動力ですね。実は河野談話が実際に発表される半年前、韓国側からの要求に応じて、この時点ですでに日本政府は慰安婦の強制連行あるいは強制性に言及する方針でいることを、当時の読売新聞、日経新聞、毎日新聞の各紙が報じています。これはソウルで行うことになる元慰安婦の方々への聞き取り調査が行われるはるか前のことでございます。まさに歴史的事実の検証というより政治的決着をはかったことがこの事実から伝わってまいります。河野談話が発表されてから、なお28年経ちましたが、強制連行を示す文書や物証はその後出てきているのでしょうか。

【安中内閣参事官】これまで日本政府が発見した資料の中には軍や官憲による、いわゆる強制連行を直接示すものは見つかっていないということです。

【有村治子参議院議員】いまだに見つかっていないということでございます。ではこの間、強制性を裏付けるような公文書、証文等が韓国から提示されたことはあるのでしょうか?

【安中内閣参事官】韓国政府からの状況につきましては、承知していないところでございます。

【有村治子参議院議員】承知していないというのは、韓国から今のところ一つも報告をされていないということでよろしいでしょうか。確認します。

【安中内閣参事官】日本政府がこれまで確認した資料の中にそのようないわゆる強制連行を直接示す資料は見つかっておりません。そういうことでございます。

【有村治子参議院議員】終戦から75年がすぎ、河野談話から28年以上経った今でも、日韓両国において強制連行を示す物証は出てきていないということでございました。にもかかわらず河野談話を作成する過程で強制性を認めることになったその論拠、根拠というものとは一体何なんでしょうか?

【安中内閣参事官】河野談話の作成過程におきまして先ほど申し上げましたが平成3年12月から平成5月8月まで関係資料の調査のほか、元軍人など関係者からの聞き取りを行なっております。これらの関係資料の調査、関係者からの聞き取り調査を行なった、全体として判断した結果、河野長官の談話となったものでございます。

【有村治子参議院議員】苦しい答弁です。全体として判断した結果ということで具体的な事例をお示しになれず、いま終戦から75年経った今もお示しにならない。これはご答弁いただいた方の能力の問題ではなく、やはりこの慰安婦問題の本質の一端を表しているというふうに、理解をしております。強制連行を認識し言及することを必要なまでに日本政府に求めてきた韓国とのやりとりの経緯は、外務省のホームページ、河野談話作成検討報告、これ2014年につくられた学識者によって作られたものですが、そこで赤裸々に書かれています。22ページほどの資料でございますが、詳細に読んでみますと、なるほどここまでのことを日本政府は韓国から求められて、ここまでの譲歩を迫られたのかと、驚愕するような内容でございます。そこには韓国の世論がこれでは許さないというくだりがいっぱい出てくるんですが、そこにいやいやこれでは日本の世論が許さないということが、なかなかそこから見ることができないのはちょっと苦しい報告だなというふうに思っております。

 

2014年2月20日の山田宏衆議院議員(現・参議院議員)の質疑を受けて、外務省が検討チーム設置。

2014年2月20の衆議院予算委員会で、山田宏衆議院議員(当時)の質問に、菅義偉官房長官は“河野談話作成過程について実態を把握し、それをしかるべき形で明らかにする”と答弁しました。

外務省は同年4月25日に「河野談話作成過程等に関する検討チーム」を設置し、その目的を、「河野談話作成過程における韓国とのやりとりを中心に、その後の後続措置であるアジア女性基金までの一連の過程について、実態の把握を行うこと」としました。そして平成26年6月20日に、『慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯〜河野談話作成からアジア女性基金まで〜』と題する検討結果を公表しました。

この中で「日本側は関係省庁における関連文書の調査、米国国立公文書館等での文献調査、さらには軍関係者や慰安所経営者など各方面の聞き取り調査や、挺対協の証言集の分析等の一連の調査を通じて得られた、いわゆる『強制連行』は確認できないという認識に立ち、それまでに行った調査を踏まえた事実関係を歪めることのない範囲で、韓国政府の意向・要望について受け入れられるものは受け入れ、受け入れられないものは拒否する姿勢で、河野談話の文言をめぐる韓国側との調整に臨んだ」と書かれています。

そして、「韓国側との調整の際に、主な論点となったのは、①慰安所の設置に関する軍の関与、②慰安婦募集の際の軍の関与、③慰安婦募集に際しての『強制性』の3点であった」と述べ、韓国側との調整の経緯が記されています。

①の慰安所設置については、韓国側は軍の「指示」があったとの表現を求めてきたが、日本側は受け入れず、軍当局の「要請」により設置された、との表現に調整された。

②の慰安婦募集の際の軍の関与については、軍の「指図(さしず)」「軍又は軍の指示を受けた業者」という表現を求めてきたが、日本側は受け入れず、軍の「要請」を受けた業者がこれにあたった、との表現に調整された。

③の慰安婦募集の「強制性」については、韓国側は自発的に慰安婦になったとの印象を韓国国民に示すことはできないと主張し、最後までやりとりが続けられ、「甘言、弾圧によるなど、総じて本人たちの意思に反して」という文言で最終的に調整されたというとこです。詳しくは外務省のホームページをご覧いただきたいと思います。

この検討チームによる検討結果を見ますと、山田宏衆議院議員(当時)が、「配慮が当時、善意だったと思いますよ。善意の部分が多かったと思いますよ。ある程度妥協すれば日韓関係が良くなると、ところが先ほど紹介しました強制連行や性奴隷といった言葉が世界中に輸出され、それが碑文となり永遠に残る結果になりました」と言われたように、まさに河野談話は、事実関係の調査検証も行なわないまま、一方的に日本側の善意と譲歩によって作成された日韓合作の妥協の産物であったことが分かります。韓国側に都合の良いように解釈できるがゆえに、後になってこの日本側の善意が裏切られるという事になりました。石原信雄元官房副長官も国会答弁で「しかし最近韓国政府自身がこれを再提起する、そういう状況を見て、私は当時の日本政府の善意が生かされてないので非常に残念に思っております」と述べています。妥協や玉虫色決着では問題は決して解決しないということです。

また検討チームは慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討は行なっていません。河野談話は慰安婦とされる16人の聞き取り調査による心証をもとに作成されました。その結果が今日の異常な事態を招きました。

歴史的事実の調査が必要であります。山田宏衆議院議員(当時)が、「(聞き取り調査における)証言がもとで河野談話が作られ、強制性を認めたと言われているわけですから、証言内容をオープンにすべきだと思いますよ」と言われるのは当然であります。

日本政府は聞き取り調査の内容をオープンにして、それを調査・検証する必要があります。日本も韓国も真実と向き合わなければなりません。真実に基づいてこそ、両国に真の和解をもたらすことができます。