大阪の都市制度改革の必要性について考える(52)。過去の大阪府議会の議論を検証します(1)。

昭和28年に大阪府議会で議決されました《大阪産業都建設に関する決議》と、31年に議決されました《大阪府行政一元化に関する決議》に関して、当時を検証していきたいと思います。大阪府知事は赤間文三知事の頃です。まず、大阪産業都構想とはどのようなものだったのでしょうか。

【大阪産業都構想の目的】は、

                  大阪府及び大阪市の行政の一体化を確保し、行政の能率化をはかる。

                  大都市制度をめぐる禍根を断ち恒久的体制を確立する。

【大阪産業都構想の概要】は、

                  大阪府・市を廃止して特別地方公共団体「大阪産業都」を置く。

                 大阪市を廃して複数の都市区を置く。他の市町村はそのまま存置する。

                 都市区は義務教育、公園、図書館、住民登録及び産業都委任事務を行う。

                 都市区には20人以内の公選議会をおく。

                 都市区長は区議会の同意を得て知 事が任命する。

                 財源については産業都は都市区の存する区域では府市の税を引き継ぐ。

                 都市区の財源は都からの財政交付金や使用料による。

このように「大阪産業都構想」は、区長公選や財源・権限などについての違いはありますが、二重行政・二元行政を制度的に解消するという意味において、今の「都構想」と近い内容であることがわかります。

「大阪産業都構想」の府議会での議論ですが、昭和28年には全会一致で産業都建設促進決議がなされ、昭和31年には都制・府市行政一元化の実現を求め、大阪府行政一元化に関する決議が行われています。この時、自民党の議員は次のように議会で発言していました。

「本府百年の大計として、大阪市を中心とした府下一円を一本化させる行政機構樹立のため、大阪産業都建設に百尺竿頭一歩を進めて積極的運動を果敢に展開せなければならない」(昭和30年12月、北川石松議員)。

「都制の問題は議論のときは既に過ぎております。既に実行期に入っております」(昭和31年2月、五十嵐英一郎議員)。

ところが、今の府議会では自民党の府議会議員たちが先頭に立って、府市行政一元化に真っ向から反対しております。このことは当時の府議会議員たちのこころざしを踏みにじるものであり、極めて残念でなりません。

 

 

 

 

 

小池さんの功績に触れず、批判に終始するマスコミたち。

希望の党代表の小池さんが代表辞任を発表すると、またもやマスコミは小池批判のオンパレード。批判のみで功績にまったく言及していないことには驚きです、慣れていますが。一部マスコミは安倍政権を過半数割れに追い込み、安倍退陣に至る働きを希望の党に期待していたのだと思います。その期待が裏切られたという思いから、様々な批判が飛び交っているのだと思います。

しかしまず、小池さんが都政に専念するという判断は評価できるのではないでしょうか。都民の多くがそのことを願っているのですから。

そして短い期間でしたが、小池さんが国政で果たした功績は大きいものがあったように思います。第一に言えるのは、民共連立政権への流れを阻止したことが挙げられます。共産党は小沢一郎を取り込み、民進党と連携して衆議院選挙を戦い、自公を過半数割れに追い込み、ゆくゆくは共産党と民進党を中心に野党連立政権の樹立を目論んでいました。このような政治の流れがなかばできつつある時であったように思います。かかる時に希望の党が設立され、民進党は方向を180度転換し、共産党との共闘から決別し、希望の党への合流を決めました。これによって共産党の目論見が見事に崩れてしまいました。このことは政治を、野合・談合による政治から、本来の政党政治の在り方に引き戻す結果となりました。小池さんが希望の党を立ち上げなければ、共産党を中心に野党連携という美名のもとに、政党政治が壊され、野合・談合による政治が常識化し、ついには共産党を中心にした野合・談合政権誕生へと繋がったかもしれません。このことについては私もかねてから警鐘を鳴らし続けてきましたが、小池さんの働きは実に大きなものがあったと思います。

第二に、希望の党の立ち上げによって、民進党が希望の党と立憲民主党に別れたことであります。国民目線で政党の主義主張、政策がよりわかりやすくなったと言えます。選択しやすくなったと言えます。この意味でも政党政治の本来のあり方に貢献したと言えるのではないでしょうか。