今、注目の共産党について考える(55)。戦後の暴力的破壊活動について「分裂した一方が行ったことで、党としての活動ではない」という嘘について。

共産党による戦後の暴力的破壊活動について、共産党は明らかに嘘をついています。皆さんもご存知のことなのですが、改めて検証してみたいと思います。戦後の混乱期、日本共産党が暴力革命路線へ転換するにあたって党内対立があったの事実ですが、武装闘争路線は共産党として正式に決定しています。今一度産経新聞出版の『日本共産党研究』を見てみます。そこには「終戦後の1950年1月、『コミンテルン』から名を変えたスターリンが主導する国際的な共産党の連絡機関『コミンフォルム』が、日本共産党を名指しで批判する文書を発表してからだった。・・・占領下でも平和的に革命が達成できるとする『平和革命論』を唱えていた日本共産党を批判したのである。これを機に、『所感派』と呼ばれ、スターリンが求める武力闘争路線に従った幹部の徳田や野坂らと、『国際派』と呼ばれた宮本顕治らとの党内対立が激化し、日本共産党は分裂状態に陥った。所感派が地下に潜行、あるいは中国に亡命し、国内各地で火炎瓶などを使った暴力事件を展開する中、コミンフォルムは翌51年に再び日本共産党に武装闘争を求める論文を発表。日本共産党は同年10月の第5回全国協議会(5全協)で受け入れを決定し、武装闘争路線を柱とした『51年綱領』が確立した」と記載されています。共産党として正式に決めたということです。

さらに、警察庁の広報誌『焦点269号警備警察50年』では、共産党の暴力の歴史を次のように記しています。「日本共産党は、同党の革命路線についてコミンフォルムから批判を受け昭和26(1951)年10月の第5回全国協議会において『日本の解放と民主的変革を平和の手段によって達成しうると考えるのは間違いである』とする『51年綱領』と、『我々は武装の準備と行動を開始しなければならない』とする『軍事方針』を決定しました。そして、この方針に基づいて昭和20年代後半に、全国的に騒乱事件や警察に対する襲撃事件等の暴力的破壊活動を繰り広げた」と、暴力的破壊活動は党として正式に機関決定したと、同誌には明確に記載されています。

にもかかわらず、日本共産党は当時の暴力的破壊活動について「分裂した一方が行ったことで、党としての活動ではない」と開き直り、国民への謝罪の言葉は全くありません。なぜ共産党はこの明確な事実を認めないで開き直るのでしょうか。なぜ国民に謝罪しないのでしょうか。事実(党としての活動)を事実として認めることができない理由とは何なんでしょうか。その理由として考えられるのは、共産党が「党として暴力的破壊活動を行ってきた」ことを認めれば、当然国民に対して謝罪が求められ、非合法活動を行ってきた共産党の解体は必至となるからでしょう。国民は解体を求めます。それを避けるためには、共産党は党として暴力的破壊活動を行った事実を否定し、謝罪もしない、これ以外に道はないと考えて、開き直っています。事実と認めれば謝罪に追い込まれ、党の解体が確実に求められます。仮に共産党が存続することになったとしても、未来永劫にわたって暴力革命を放棄すると宣言しなければ国民から許されることは決してありません。共産党が自身の暴力的破壊活動を認めて国民に謝罪することになれば、暴力革命を放棄せざるを得ず、結局普通の野党となってしまいます。つまり共産党が共産党でなくなるということを意味します。なぜなら暴力や武力を使わないで平和的に共産主義社会に移行するなんてことはありえませんから。過ちを認めれば最終的に共産主義社会実現の夢を放棄することにつながるが故に、暴力的破壊活動を他者の責任に押し付けざるを得ない、嘘で固めなければならないということです。共産党が未だに「敵の出方論」や「二段階革命論」を主張するのは、暴力による革命を放棄していないからであります。暴力による革命を放棄すれば、共産主義社会の実現は永遠にありません。共産党が歴史的事実に背を向け、開き直り、「党としての活動ではない」との壮大な嘘を言わざるを得ない理由はまさにここにあります。

 

加計学園問題について思う。総理が直接国民に話されてはどうでしょうか。

愛媛県今治市に獣医師養成のための学校が設置されることは、愛媛県のみならず西日本全体にとって必要なことだと、これは国会質疑を聞く限り、野党の皆さんも同じ思いのようであります。問題は加計学園ありきだったのかどうかということのようです。規制改革に携わった民間委員の皆さんは公平性と透明性が担保されておりまったく問題はないという見解でありました。安倍総理の働きかけ疑惑については、前川前文科省事務次官の話によれば、加計学園という指示を具体的に受けたことはなく、ご自身の“思い込み“に過ぎなかったということが明らかになりました。しかし前川氏はこの“思い込み“について、その時はさほど重要だとの認識に至らず、上司である大臣に報告にも行かず、また直接の部下にも相談もせず、ただ“ご自分の思い込み“を担当課長に話にいっただけということでした。「行政が歪められた」という前川氏の国会での発言とその時にとった行動は決定的に乖離しています。当時も今と同じ認識であったということであれば、その時点で問題化すべきであったように思います。問題化しなかったのはご自身の天下りと関係があるのではと私は強く感じます。文科省全体の天下り問題で責任を取らされて、辞めていかざるを得なくなり、ご自身の天下りの道が閉ざされた結果、辞任の後になって問題化したということでしょう。さらにご自身の“貧困対策の視察“が暴露され、怒りが頂点に達したというところではないかと推測します。

安倍総理の関与についての事実関係については、国会の質疑では明確にならなかったように思います。関与の事実がないからだと思いますが、しかしこの獣医師の規制緩和に並々ならぬ関心を持って取り組んで来られた加計学園の理事長と安倍総理がゴルフや会食を共にする親しい友人であるということ、そして結果として加計学園に決定したということ。これらが結び付いて連想されるからこそ、多くの国民は疑念をもつということであります。このような関係がなければ国民が疑念に思うことはありません。

何もないことを証明することは困難であることは承知しています。本来は追求する野党議員やマスコミが何か少しでも具体的関与の証拠を示して、追求するというのが道理であります。しかし、前川氏の思い込みや、この思い込みに起因すると考えられる文書のみしか示せないようでは、加計問題は役所の抵抗勢力の反抗(あるいは前川氏の個人的な恨み)としか言えないのではないかと私も思います。しかし、多くの国民が疑念を持つのも、総理と友人である加計学園に決まったという事実からすればもっともなことであります。

そこで、政争に明け暮れする国会ではなく(いずれ通常国会も開かれます)、また報道に頼るのでなく、むしろテレビや新聞を直接活用して規制の現状や規制緩和の必要性、岩盤規制撤廃にどのように取り組んできたのか、なぜ加計学園に決まったのかその決定過程、今後の規制緩和の方針などについて、関係者や総理ご自身が出演して直接国民に説明されたらどうでしょうか。テレビや新聞が応じないならば、インターネットなどを活用 することも可能であります。大切なのは国民に直接話されることであります。期待しています。