作家の佐藤優氏、6月13日の産経新聞『世界裏舞台』寄稿文より
ー「この党は『普通の政党』ではないのだ」ー
【不破哲三氏は日本社会党が綱領的文書『日本における社会主義への道』で展開した平和革命路線を批判してこう述べている。《『社会主義への道』は「敵の出方」におうじて平和的移行と非平和的移行の2つの形態を考慮することは、「主体的な選択を放棄」するもので、今日では、革命勢力が「平和革命」の道を意識的に選択することによって、「敵の出方」をも規制できる、つまり、敵の暴力行使を封殺できるのだなどと言っているが、これは、事態を逆立ちさせた詭弁にすぎない。もし、革命勢力の暴力行使の危険性を軽視し、「平和革命」の可能性だけにその関心を向けているとすれば、あれこれの政治的危機にさいして暴力をもって人民を抑圧しようとする反動勢力のくわだてが、いっそう容易なものとなることは、当然の道理である》(不破哲三著『現代政治と科学的社会主義』P253新日本出版社、1968年)。
不破氏は、革命における非平和的移行、すなわち暴力革命を是認している。この政党は「普通の政党」ではないのだ】と述べています。
佐藤優氏が言われるように、共産党は暴力革命を是認しており、民主主義社会における政党という概念は全く当てはまりません。共産党から「敵の出方論」が出てくる理由は、暴力革命を正当化するためなのです。
共産主義者は共産主義社会の到来は歴史の必然であると考えています。共産主義革命が平和的に達成できればよいが、しかし平和的に革命を達成することが困難であると判断すれば、暴力による革命を目指すというのが「敵の出方論」の意味です。「敵の出方」を論じるのは平和主義を装うカムフラージュであり、人権を尊重し平和的に革命を達成するということは不可能であることを彼らはよく知っているからです。「敵の出方論」は暴力革命を正当化するための論理であります。国民が共産党の言うことを聞かないので、仕方なく暴力に訴えたと言いたいだけです。暴力革命を正当化するために必要なのが「敵の出方論」なのです。革命のために暴力に訴えることは彼らにとっては“善”なのです。共産主義者による暴力は情け容赦がありません。ソビエト、中国、北朝鮮などの歴史が証明しています。
佐藤氏が紹介した不破哲三氏の著書だけではありません。ウキぺデイアによれば、
・1961年以降の日本共産党による「革命が平和的か暴力的かは、敵の出方による」との方針。
「日本共産党はこの理論に基づいて、暴力革命や武装闘争を現在も放棄していない」と日本政府は判断している。
・1964年5月21日日本共産党第8回党大会「政治報告」:
「革命が平和的か暴力的かは敵の出方による。現在の国家権力がたやすく権力を人民に譲渡するとは考えられない」
・宮本顕治『日本革命の展望』(1967年、新日本新書):
「革命への移行が平和的となるか非平和的となるかは、結局敵の出方によることは、マルクス・レーニン主義の重要な原則である」
・不破哲三『人民的議会主義』(1970年、新日本出版社) :
「わが党は革命への移行が最期的には敵の出方にかかるという立場をとっている」
・日本共産党綱領(2020年改訂):
「民主連合政府の樹立は、国民多数の支持にもとづき、独占資本主義と対米従属の体制を代表する支配勢力の妨害や抵抗を打ち破るたたかいを通じて達成できる。対日支配の存続に固執するアメリカの支配勢力の妨害の動きも、もちろん、軽視することはできない」