日韓問題について考える(32)。「慰安婦問題」の真実。韓国の識者はどのように考えているのだろうか。

挺対協の主張に根拠はあるのか?

李承晩TV「韓日関係が破綻するまで」(朱益鐘氏)より。

挺対協(今は正義連と名乗っています)の主張は2つあります。

「挺対協は慰安婦を『国家公権力が暴力をもって強制した性奴隷』と定義しています。2つの側面がありますが、まず、動員方式です。婦女子を強制連行したというのがそれであります。次は、慰安所での生活ですが、慰安所に監禁されて、慰安婦の生活、即ち性的慰安を提供しなければならない、慰安婦生活を強いられたというのが他の側面です。これら2つの側面で、慰安婦を性奴隷と見ているのです」

しかし、事実はどうだったのでしょうか。

一つ目の、いわゆる“強制連行説”  について

ー強制連行説を否定ー

しかし、実際は、日本政府や日本軍が徴兵または徴用のように強制的に連れて行ったのではありませんでした。日本軍と日本政府は、確かに、その動員過程に関与しましたが、それは日本軍が慰安所の業者を選定し、その業者から委任を受けた募集業者が、朝鮮の婦女子を連れて日本軍駐屯地まで、例えば中国や東南アジアの駐屯地まで旅行する過程において、日本の官憲が例えば旅行証明書の発行などの便宜を提供するような、あくまでもその程度であって、日本の公権力が強制的に特定の婦女子を慰安婦として強制連行したのではありません。慰安婦の証言録を検討すると、極貧家庭の娘が良い仕事があるという言葉に唆されて、募集業者について行ったり、同様の理由で親が前借金を受け取って、娘を募集業者に渡したり、あるいは 極貧家庭の娘が親戚の家や他人の家に送られ、預婦や女中として生活した後、そこから、募集業者に渡されたり、などの場合が殆どです」。

「極貧家庭の娘が前借金を受け取った親や身内などの決定に従って仕方なく、宿命と思って募集業者について行くか、または、家庭からも離れさせられた、一人ぽっちになった、婦女子たちが行くところがなくて募集業者について行ったケースが殆どです」。

次にいわゆる“性奴隷説”について、

ー“性奴隷”ではなく“性労働者”とみるのが正しいー

「シンガポールで、慰安所の管理人を務めた朴治根という人物の日記があります。・・・1944年の日記の中で、離れた慰安婦を調べると、慰安所にいた20人程度の慰安婦中15人が、1年の間に4分の3が離れましたが、慰安所の経営悪化のためではありませんでした。慰安所は、このように、慰安婦が頻繁に離れ、また欠員ができたら新しく埋められるような、非常に流動性の高いところでした。つまり、契約期間が満了したり、慰安婦が目標にしていた金額を稼げたり、あるいは前借金の債務を清算したら、朝鮮に帰るか、または他の慰安所に移るかのようなことが頻繁にありました。この日記は、毎日記録されたものなので、約半世紀後に行われた証言より、もっと正確な情報が含まれていると私は思います」。

「最初は債務に縛られていましたが、前借金を償還したら、朝鮮に帰るか、他のところに移ることができたという点で、慰安婦は“性奴隷というよりは、“性労働者と見るのが正しいです。それでも、債務に縛られていた間は、望まない性的義務を提供しなければならないから、日本軍慰安婦制を性奴隷と言うなら、植民地朝鮮の公娼制も性奴隷と言うべきですし、また、解放後の韓国軍慰安婦と米軍慰安婦、民間慰安婦も、みな、性奴隷と呼ばなければなりません。李栄薫先生もお話しされましたが、今からそんなに遠くない2003年、群山市の私娼街で売春婦たちが、監禁されていましたが、火災により、12人が焼死した事件もありました。従って、日本軍慰安婦だけ切り離して、性奴隷と批判できる根拠がありません」と。

朱益鐘氏は、挺対協が主張する慰安婦の“強制連行説”と“性奴隷説”について、以上のような見解を示しておられます。