2020年1月23日 武漢封鎖
2020年1月24日
朝、私は勤務交代の引き継ぎの時、全員で記念写真を撮ろうと呼びかけた、その写真を画像共有アプリで発信したが、お互い「おめでとう」などの言葉は交わさなかった。生きていればそれだけでいいと心で嚙みしめていた。しばらく前までは、時間通りに注射してもらえないなど、ちょっとしたミスでもトラブルを引き起こす患者や家族がいた。ところが、今や、そのようなことはなくなった。皆、突然襲ってきた打撃に意気消沈し、唖然としていた。患者が死んでも、家族は嘆き悲しまなくなった。死者があまりにも多かったからだ。「お医者様、どうか助けてください」という代わりに、「早く解脱させて(楽にして)あげてください」という家族さえいた。ある日、発熱外来診察の入り口で皆が5時間も順番待ちしていた。すると一人の女性がバタッと倒れた。毛皮付きの服、ショルダーバッグ、ハイヒールというファッションでなかなかオシャレだった。ところが誰も助けなかった。ずっと床に横たわっていた。やむを得ず、私は看護師と医師を呼び助けた。
WHO、緊急事態宣言を見送る。「人から人への感染も近親者や治療に携わる医療関係者にとどまっており、中国国外では報告されていない」とWHOの声明。
2020年1月26日
中国、海外団体旅行を禁止。地元政府 初動に批判集中「湖北省政府は23日になって武漢から出る鉄道や航空便を止めて市内を事実上『封鎖』したが、春節の帰省客のピークは20日だった。感染の拡大は止まらず、25日には封鎖の範囲をほぼ省全体に広げたが、後手に回ったとの指摘が多い」ー日本経済新聞
2020年1月27日
新型肺炎 世界経済に影、中国死者56人 感染2000人超、日米武漢退避に臨時便、首相「希望者全員を帰国」ー日本経済新聞
武漢市長「権限なしに情報公開できぬ」政府の責任示唆。「習近平指導部は党・政府機関を厳しく管理しており、当初から感染状況を把握していたのではないか」(朝日新聞)
WHOトップ北京入り、中国当局と協議。WHOの新型肺炎「中リスク」から「高リスク」に訂正。表記が誤りだったと公表。
2020年1月28日
李首相が武漢入り、中国患者4400人 死者106人ー日本経済新
2020年1月29日
緊急事態宣言回避に期待 中国主席 WHO事務局長と会談、
邦人206人武漢から帰国 退避第1陣ー日本経済新聞
2020年1月30日
朝、病院に来ると、銀髪の老人がいた。32歳の息子が亡くなったので、死亡証明書を受け取りに来たのだ。老人は渡された死亡証明書をじっと見つめ、目には涙が一滴も浮かんでいなかった。どう泣けばいいのか?どうしょうもない様子だった。身なりから、よそから出稼ぎに来たような感じだった。はっきりした診断のないまま、息子は死亡証明書という一枚の紙切れになってしまった。これも私が訴えたいことだ。救急科で死亡した患者は、診断や病状の確定さえできなかった。
2020年1月31日
WHO「緊急事態宣言」を出す。しかし「国境封鎖などの対策を取っている国もあるが、科学的な根拠は何かと問いたい。我々は推奨しない」とWHOのフサン委員長。また、テドロス氏は「中国国外の感染者数が少ないことに関し、中国に感謝しなければならない」と発言。
2020年2月1日
中国、感染1万人超、WHO後手に回った宣言、中国、人・資金で影響力「WHOは30日、新型コロナウイルスによる肺炎について緊急事態を宣言した。一週間前には「時期尚早」として見送ったが、患者数の急増を受けて方針転換した。対応が後手に回った背景に、WHOに対する中国の影響力を指摘する声もある。・・遅きに失したのではないか」ー日本経済新聞
2020年2月17日
(画像を最初に受け取り他に転送した)同済医学院の同期生から「すみませんでした」というメッセージが送られてきた。私は「いいえ、あなたが発信したおかげで、一部だが、即刻に注意喚起できました。李文亮たち8人がいなければ、あの状況を知る人はもっと少なかったでしょう」と答えた。
2020年2月21日
2月21日朝、病院の幹部に呼び出された。私にはいくつか聞きたいことがあった。例えば、あの時、譴責したことは間違いだと思わないかなど。私は謝罪を期待した、しかし、口に出す勇気はなかった。そして、誰からも、どのような場でも、私に対する謝罪はなかった。