北朝鮮帰還事業とは何だったのか?これについて坂中氏は、
「北朝鮮帰還事業とは何だったのか。歴史的背景は、最近ようやく明らかになって来ました。在日の朝鮮人が日本から北朝鮮に帰るという動きは朝鮮戦争が休戦になったころから散発的にありましたが、それが大きなうねりになってくるのは、北朝鮮の金日成主席の指示に基づいて、在日朝鮮人の団体である朝鮮総連が動き出した1958年からです。北朝鮮が帰還事業を進めた思惑には、大きなものとして二つあります。一つは国内の労働力不足を補うということ。もう一つは当時の東西冷戦構造の中で、政治的な成果、つまり資本主義の日本から、韓国ではなくて、共産主義の北朝鮮に大勢が帰ってきたという成果を上げようということでした。日本側にも、治安上や財政上の理由から“厄介払い”をしたいという意図があったのは事実でしょう。当時の日本は高度経済成長の前ですからまだ貧しく、在日韓国・朝鮮人には就職口がほとんどなくて、差別も激しかった。そんなな彼らが、何ら展望の開けない日本にいるよりは、祖国と仰ぐ北朝鮮へ行こうと考えたのは当然です。北朝鮮や朝鮮総連の宣伝にのって、日本のマスコミも『地上の楽園』などと、社会主義幻想をふりまいた。そうしたさまざまな事情がなければ、9万数千人もの人が、相対的には豊かな日本から貧しい北朝鮮へ移住するなどということは考えられません」。
「私は、あの時代に北朝鮮に憧れて帰っていった人たちを一概に批判するわけにはいかないと思っています。すさまじい『帰還』ブームが在日朝鮮人社会全体を覆い、北朝鮮に向かう『人の大移動』が起きたのです。勢いのおもむくところに従い、朝鮮総連の熱心な活動家が率先して帰国し、そして真っ先に殺されてしまった。帰国問題の本質は、何と言っても、北朝鮮に行った帰国者に対する残虐な人権弾圧にあります。帰国に至った経緯よりも、祖国北朝鮮で受けた不当極まる処遇のほうが格段に重大な問題です」。
帰国者の数は「9万3340人。その中には約6800人の日本人が含まれています。結果的に、彼らは北朝鮮の『人質』となり、日本に残った家族・親族は、金をよこせとか、場合によっては拉致などの犯罪に協力しろとか、さまざまな脅迫を加えられてきました」と述べています。
北朝鮮への帰国運動がもたらした悲劇が次々と露わになりました。日本政府・安倍政権は拉致問題とともに、日本人妻を含む北朝鮮帰国者の人権問題を解決しなければなりません。坂中氏が主張されるように、彼らの日本への再帰国に備え、日本で受け入れ体制を整えることも考える必要があるのではないでしょうか。