今、注目の共産主義について考える(81)。北鮮帰還事業(10)。日本共産党と朝鮮労働党の蜜月関係。

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今一度公明新聞2002年11月〈号外〉を見て行きます。ここでは日本共産党と朝鮮労働党の蜜月関係が詳しく説明されています。

「共産党はなぜ自らの歴史を偽るのか。本紙が、共産党の拉致問題への後ろ向きな姿勢の原因の一つとして、『同党が北朝鮮の朝鮮労働党とかって長く《友党》関係にあり、北朝鮮に迎合姿勢をとってきた過去と無関係ではない』と指摘したところ、『赤旗』では『これは事実を根本からねじ曲げるもの』『日本共産党は歴史的に北朝鮮の国際的無法行為に対するもっとも厳しい批判者でした』として、まるで北朝鮮と過去に友好関係がなかったかのような顔をしている。なぜ自らの過去を隠すのか。何か後ろめたいことでもあるのか。『赤旗』には、同党が『83年以降、関係断絶』と大見出しで強調しているが、それ以前は朝鮮労働党と長く『友党』関係にあり、共産主義の『兄弟党』として、日本共産党は社会党の第一次訪朝団より4年半も早い59年(昭和34年)2月に宮本書記長を団長とする訪朝団を派遣するなど、両党は頻繁に交流し、それこそ“蜜月”“密着”関係にあったことはゴマカシようがないのではないか。例えば、日本共産党と朝鮮労働党の“蜜月”ぶりを物語るものとして、66年3月に交わした両党の共同声明には、こうある。『・・日本共産党と朝鮮労働党の間の伝統的な友好と団結は・・マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の原則に基づいて、発展し強化してきたものである』『両党代表団は・・うちやぶりがたい友好と団結の上に、相互の路線、相互の政策、相互の闘争を全面的にかつ熱烈に支持する』、日本共産党と朝鮮労働党は文字通り共産主義の“兄弟党”として社民党(旧社会党)などとも比較にならぬほど深く厚い『友党』関係を築きあってきたのである。だからこそ66年8月15日付『赤旗』には、朝鮮労働党の機関紙『労働新聞』の長大論文を掲載して〝エールの交換〟をしていたのではないか。さらにまた『赤旗』は71年まで、平壌放送の番組欄を紙面に掲載していたほどなのだ」と記載されています。