今、注目の共産主義について考える。(78)。北鮮帰還事業(7)。韓国は猛反対。

北鮮帰還問題で韓国政府はどのような主張をしていたのか見ていきます。

日本と北朝鮮の赤十字間で北鮮帰還問題が大詰めを迎えようとしていた昭和34年(1959年)5月28日の朝日新聞は、「北朝鮮帰還、力で阻止、柳韓国大使が申し入れ」との見出しで、次のように伝えています。「在日韓国代表部の柳大使は28日午前11時外務省に沢田日韓会談主席代表を訪ね。約30分間話し合ったが、柳大使は『日本が北朝鮮帰還を実施するならば、韓国は武力をもってしてもこれを阻止する。また日韓合同会談は再開できないし、日韓間の一切の会談、交渉を打ち切る』との申し入れをおこなった」と韓国側の動きを伝えています。日韓基本条約締結以前のときです。ちなみに日韓条約が締結されたのは1965年(昭和40年)6月です。

昭和34年12月14日、第一次帰還船が北朝鮮に向かった日の朝日新聞を見ると「韓国政府首脳、妨害に武力行使検討か」との見出しで「京城の消息筋は13日『韓国政府は同日行われた主要閣僚会議で在日朝鮮人の北鮮帰還を妨げるため武力の行使を検討した模様だ』と語り、この閣議に陸、海、空軍各司令官が出席したことは、この推測を裏書きするものだと指摘した」と報道。

さらに朝日新聞は「北は歓迎準備、南は反対デモ」との見出しで韓国の状況について「13日夜の京城放送によると、在日朝鮮人の北朝鮮帰還第一船の新潟出港を前にして、韓国では13日、雨の中を京城をはじめ全国各地で反対示威運動が行われた。京城市では老若男女がデモに参加し、夜10時半になっても雨の中をタイマツをかかげた反対デモが続けられた。大田、大邱、釜山をはじめ、13日だけで全国千余ヶ所で三百六万余人がデモに参加した。14日も大々的な反対デモが行われるという」と記しています。

日本国内でも在日本韓国居留民団幹部が「日本の無条件降伏ですよ」「日本が北朝鮮の思うツボにはまったんですよ」「強制送還と変わりがない」と、日本と北朝鮮のジュネーブ合意を批判したことは前に紹介した通りです。在日本韓国居留民団も猛反対していたことがわかります。

それなのに日本側は北朝鮮に満額で譲歩しました。日本と北朝鮮の日鮮会談が妥結した昭和34年6月11日の朝日新聞は「日鮮会談、事実上妥結す。日本側、問題点を撤回、15日から帰還計画案作成」と報道しています。日本側が懸案であった“赤十字国際委員会の実務参加問題”と“苦情処理委員会設置問題”を撤回したからです。今ふりかえれば、このことが悲劇のはじまりとなったのですが、日本政府はなぜ韓国政府や民団がここまで反対しているにもかかわらず、日本の当初の主張を撤回してまで、北朝鮮の主張を全面的に受け入れ、北鮮帰還事業をスタートさせたのでしょうか。大きな疑問です。その解明は、責任の所在を突き止めるためには必要不可欠なことであります。