上の新聞は「なぜ日本共産党は過去の過ちを認めないのか」と題して、北鮮帰国事業を取り上げた公明新聞2002年11月〈号外〉です。この中で、「『心は踊る 社会主義の祖国へ』と在日朝鮮人の帰国第一便の船出を大々的に報道する」日本共産党の機関紙『アカハタ』(59年12月20付)を紹介し、日本共産党は北鮮帰還事業を「“地上の楽園”と賛美し、事業推進の“主役”」を担ったと批判しています。また、北鮮帰還事業を「『凍土の地獄』へ送った帰国事業」と断言し、「日本共産党が陰で主導」との産経新聞の主張も紹介しています。
公明新聞は「本紙は14日付で、『拉致問題を突き詰めていくと、帰国問題にも関係してくる』と指摘した。それは、拉致事件を個別に追っていくと、北朝鮮工作員が、身寄りのない日本人を選別する作業などで、日本にいる在日朝鮮人が協力者にさせられているという実態が浮かび上がってくるからだ。北朝鮮に帰った帰国者を家族や親戚に持つ人たちは、協力しなければ、北朝鮮にいる親戚がどんな目にあうかわからないぞという“無言の脅し”によって、やむなく協力者に仕立て上げられていったという意味である。拉致事件と在日朝鮮人の帰国事業とは関係があるのだ。共産党が日朝間で過去に犯した『誤り』『失態』のなかで、最大級といえるものが、この在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業である。59年12月から始まり84年まで続いたこの事業で約9万3000人もの在日朝鮮人やその家族らが、今日の拉致問題と同じように“片道切符”を持たされて北朝鮮に渡った。このうち、配偶者として同行した日本人妻や夫などの日本人は、およそ6000人に上った。そして、彼らを待っていたのは、『地上の楽園』とは裏腹な、厳しい身分制度の“監獄国家”だった。北朝鮮に渡った日本人や家族らは『資本主義の雑菌』として扱われ、強制収用所や労働強化所、炭鉱送りとなった人も多い。餓死者などを含め、およそ3万人が死亡したとの説もある。この『地上の楽園』ならぬ『凍土の地獄』へ日本から在日朝鮮人やその配偶者を送り出した“主役”こそ日本共産党に他ならないのである。先に本紙記事が紹介した宮本顕治元委員長(当時書記長)の朝鮮労働党第4回大会(61年9月)におけるあいさつはそのことを物語る一例だ。宮本氏は『朝鮮人民は・・・千里のこま(駒)の早い速度で社会主義朝鮮建設の道を前進し、・・・政治、経済、文化、社会のすべての面にわたり、限りない明るい希望に満ちた新しい世界が朝鮮人民の前に開かれています』と北朝鮮を大賛美。そしてすでに7万1000人が帰国したと述べ、『今日なお希望に満ちた人々が日本各地からあなた方の国へ向かって出発しています』として、同党が『この問題の解決の促進に協力できた』ことを自画自賛している」との記述を掲載し、「日本共産党は一度でも謝罪したのか」と断罪しています。
事実、「アカハタ」掲載の写真を見ますと、日本教職員組合、新潟県教職員組合主催の「朝鮮帰国学童を送る会」の写真が掲載されています。ここには「朝鮮の帰国学童を前に一生懸命、歌やおどりハーモニカの合奏をおくる新潟市内のかわいらしい子供たち」と説明しています。上段左の写真には「五色のテープをしっかりにぎり、朝鮮民主主義人民共和国の国旗を力いっぱいふっている帰国者たち。『こんなに明るい船出は初めて見みた』ある人はそういっていた。帰国者の顔は念願かない祖国の土を踏みしめる喜びにあふれるようだった」と解説しています。