昭和34年6月11日の朝日新聞です。ジュネーブでの 日本赤十字社と北朝鮮赤十字の間で帰還に向けた合意が成立。鳴り止まぬ拍手は、「みんなの団結で帰国をたたかいとろう」とのスローガンで、前日の10日から開催されている朝鮮総連の全国大会での出来事です。
記事の中では「朝8時ごろから続々つめかけた約千三百人の代議員は新聞を手にして半信半疑といった表情だった。午前九時半、李帰国対策委員長がジュネーブの共同コミニュケを発表、愛国歌の大合唱ではようやく祖国に帰れる思いに涙ぐんだ顔が多く、公会堂の中は憂鬱なツユを吹き飛ばすような明るさに包まれていた。なお12日には、帰国を希望する青年たちが、遠く神戸から東海道筋に沿って千五百人も自転車で乗り込み、一層帰国気分を盛り上げるという」と書かれています。
一方、民団本部(大韓民国居留民団中央総本部)は「ツユのせいか沈痛な空気が一層陰にこもった感じ。金今石副団長は『日本の無条件降伏ですよ』と激しい語調を吐き捨てた。『日本が北朝鮮の思うツボにはまったんですよ。予測はしてましたがね・・・。本当に日本は誠意をもってまとめる意思があったんだろうか。・・北朝鮮帰還?冗談でしょう。強制送還ですよ』と厳しく日本と北朝鮮のジュネーブ合意を批判しています。
結果的には、この民団幹部の予想が現実となってしまったのですが、なぜこのような戦後最大の人権事件が起きたのか考察していきます。