昭和28年に大阪府議会で議決されました《大阪産業都建設に関する決議》と、31年に議決されました《大阪府行政一元化に関する決議》に関して、当時を検証していきたいと思います。大阪府知事は赤間文三知事の頃です。まず、大阪産業都構想とはどのようなものだったのでしょうか。
【大阪産業都構想の目的】は、
大阪府及び大阪市の行政の一体化を確保し、行政の能率化をはかる。
大都市制度をめぐる禍根を断ち恒久的体制を確立する。
【大阪産業都構想の概要】は、
大阪府・市を廃止して特別地方公共団体「大阪産業都」を置く。
大阪市を廃して複数の都市区を置く。他の市町村はそのまま存置する。
都市区は義務教育、公園、図書館、住民登録及び産業都委任事務を行う。
都市区には20人以内の公選議会をおく。
都市区長は区議会の同意を得て知 事が任命する。
財源については産業都は都市区の存する区域では府市の税を引き継ぐ。
都市区の財源は都からの財政交付金や使用料による。
このように「大阪産業都構想」は、区長公選や財源・権限などについての違いはありますが、二重行政・二元行政を制度的に解消するという意味において、今の「都構想」と近い内容であることがわかります。
「大阪産業都構想」の府議会での議論ですが、昭和28年には全会一致で産業都建設促進決議がなされ、昭和31年には都制・府市行政一元化の実現を求め、大阪府行政一元化に関する決議が行われています。この時、自民党の議員は次のように議会で発言していました。
「本府百年の大計として、大阪市を中心とした府下一円を一本化させる行政機構樹立のため、大阪産業都建設に百尺竿頭一歩を進めて積極的運動を果敢に展開せなければならない」(昭和30年12月、北川石松議員)。
「都制の問題は議論のときは既に過ぎております。既に実行期に入っております」(昭和31年2月、五十嵐英一郎議員)。
ところが、今の府議会では自民党の府議会議員たちが先頭に立って、府市行政一元化に真っ向から反対しております。このことは当時の府議会議員たちのこころざしを踏みにじるものであり、極めて残念でなりません。