猪木正道元京大教授は共産主義の暴力性についてさらに次のように指摘しています。「一党独裁が血なまぐさい犠牲を伴いながら、ついに1人1派の全体主義的支配に帰着せざるをえないという、この恐るべき権力のダイナミックスの中に共産主義の暴力性の第三の淵源がひそんでいる。今まで暴力の主体であった共産党員が、暴力の客体になった意味で、この点は特に注目されよう」と著書に書かれています。つまり革命によって、中産階級やプロレタリア大衆に対して暴力の主体となった共産主義者のうち、ほんの一握りの「1人1派」を除いて、大多数の共産主義者・共産党員が暴力の客体に転落するというのです。最終的には共産主義者間の権力闘争に勝ち残った「1人1派」のみが暴力の主体となり、他のすべての共産党員、プロレタリア大衆、中産階級、国民のほとんどが暴力の客体となって、暴力と恐怖による支配を受けるようになる、これは共産主義の宿命だと言われています。今の中国や北朝鮮で行われていることを見れば猪木元教授が言われている通りであります。「1人1派」の権力基盤を確立するために、同士であった共産主義者に対しても無慈悲な粛清が行われています。粛清につぐ粛清がいまだに続いています。さらに歴史的に見ても旧ソ連をはじめ、すべての共産主義国家が同様の運命を辿って来ました。このことについては「共産党以外の政党結社が禁止されている以上、共産党内における言論の自由を廃するときは、党は必然的に官僚化し、一部党官僚独裁に堕する」との指摘がなされています。日本共産党は旧ソ連について、綱領に「生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない」と書かれています。「官僚専制体制」という意味不明な表現ですが、「1人1派の全体主義的支配」「一部党官僚独裁」についての課題意識はあるようです。しかしその再現を避ける方法については触れておらず、ただ日本「独自の形態の探求が重要である」と書かれているだけであります。課題に対しては何の解答も示されておりません。猪木元教授は共産党の一党独裁は「血なまぐさい犠牲を伴いながら、ついに1人1派の全体主義的支配に帰着せざるをえない」と指摘しています。日本共産党が「官僚専制体制」にならない日本独自の道を探求しても何も見つけられないという意味でしょう。共産党は言ってみただけということでしょうか?もしあるのであれば、隠さないで明確に示さなければなりません。