猪木正道元京大教授の著書『共産主義の暴力性』には、共産党が考える党の役割について、「自発的には革命理論に目覚めないプロレタリアの大衆に対して、プロレタリアートの階級意識を吹き込み、彼らを共産主義理論をもって武装するのが、共産党の課題である」と書かれています。プロレタリア大衆を階級意識に目覚めさせ、革命の主体へと育て上げる役割を共産党が担っているということです。共産党は指導する立場、プロレタリア大衆は指導され教育される立場であるということです。なんという傲慢な考えなのでしょうか、呆れるばかりであります。しかし、このことが「共産主義に伴う暴力性妖気の第二の淵源」であると猪木先生は指摘しています。階級意識と革命理論で武装された共産党と「なまのままのプロレタリア大衆」の関係は、教育し・指導する立場と、教育され・指導を受ける立場という「一種の特別な関係」であってやがては対立関係になるという。「ここにおいて、あるべき全プロレタリアートの階級意識を代表すると称する共産党に対してプロレタリアートの大衆が恐怖感と嫌悪の念を抱くことになるおそれは、否定できないであろう。中産階級に対しては、暴力の主体であったプロレタリアートは、いまや暴力の客体となる。この場合党が、全プロレタリアートの共通の利益の名において、プロレタリア大衆の行動に干渉し強制を加えれば、加えるほど、大衆はこの自由の名における暴力に対して、ますます強い反発を感ずるであろう。階級意識の体現者たるべき党が、職業的革命家の組織に極限されるときは、党と大衆との乖離はますます甚だしくなり、党の干渉と強制とに対する大衆の恐怖感は、いよいよ激しくなる」。「いったん大衆から離れると、党内の権力は、ますます少数者に集中して、一握りの中央委員が、党員全体の生殺与奪の権を独占するにいたることは、ほとんど必至である。この弊害を未然に防止するがためには、党内デモクラシーを確立することが不可欠の条件となるが、これが実は至難中の至難事なのである」と指摘しています。一部の共産党員が大多数の党員の生殺与奪の権力を持つとともに、大多数のプロレタリア大衆の生殺与奪の権力をも持つということであります。プロレタリア大衆を階級意識と革命理論で武装させるために、プロレタリア大衆に対して教育指導という名の強制が行われます。これに反抗することは許されず、反抗すれば反革命の名の下、処罰や粛清の対象となります。「中産階級に対して暴力の主体であったプロレタリア大衆が暴力の客体」に転落することになります。共産党のほんの一部の者以外、社会全体のほとんどの人が強制と恐怖による支配を受けることになります。これは「ほとんど必至である」と猪木先生は指摘しています。多くの強制収容所が作られたり、多数の奴隷労働者がうまれたり、大量の粛清や虐殺が行われたり、強制移住させられたり、大量の餓死者が続出したりと、これまでの共産主義国家がたどった悲惨極まる事象は、共産主義を選択した時点から「ほとんど必至」の結果ということが言えます。